お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

長月の落ち穂拾いー持病とともに

 

 

横にならないうちの電池切れ

 

 

昨日は久しぶりに銀行に行ったりしてずっと忙しかったので、それなりに疲れたみたいですが、でも朝は具合が悪くて救心とデパス飲んで横になったまま、1時間以上動けませんでした(-_-;) でもかなり時間が経ってやっとましになったので、この機会にと思って銀行まで行ってきました。

 

夕方、何時ごろかな?4時くらい?とにかくMacをスリープにしたのは覚えています。でもそこで記憶が途切れて気がついたらベッドの上で午後8時を過ぎていた。夜の薬も飲んでいないし、片づけもしてないし、そもそも晩ご飯も食べていなかった、と思う。横になった記憶もないので、まさに気絶したんじゃないかと思われます(-_-;)

 

そのあたりの推理をして、とりあえずゼリーくらいは食べたけど、いまさら食事でもないかな、と薬は飲みました。軽くパイなどつまんでいました。敦化の食事はやっぱりね。

 

思えばMacをスリープにしたときから意識が薄れつつあるような感じでした。電池切れ?気絶睡眠。強制リセット。容量が少なくなった脳みそだしね。でもちょっとだけ怖かったです(^^;) ナルコレプシー??「続くなら受診を」とChatGPTには言われてますが。

 

そういえば私の守護霊さんはここに引越してから6年間ずっと「ここは終の住処じゃない」と仰ってますが、病院でも高齢者施設でもなければどうなんだろう?

年々体力もお金もなくなっていくんですけど⋯(-_-;)

 

 

 

追記*

いま確認に行ったら、スタンプまだ販売されてました。どうなってるのか謎ですが(^^;) 多分購入可能だと思います。

 

store.line.me

 

このスタンプ、なぜか中東あたりで良く売れてたんですよね。イスラム圏かと思うけど、宗教的には見られなかったのかも。??まあ、キャラはフィクションだけど。

 

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だれしもがよき選択が出来るわけではない

 

私の両親は昭和一桁生まれで、25歳と21歳で若くして結婚していますが、いまから思うとずいぶん成熟した考えを持っていて、その時代よりも何十年も未来的な価値観を持っていました。まあ、そういう気質は先祖代々受け継がれてきたと思ってもいいのかもしれません。

 

私自身もそういうところを自分の意思と選択に口出しする人はまずいないという自由な気質ですね。自分らしく生きることの背中を押してくれる一番の要素でした。

 

親ガチャというのは人によってあったりなかったりするのかもしれませんね。私は自分でもかなり「意思が強いと思うので、そういう親も学びのために選択してきたような気さえするんですが、まあ、この辺の審議の程は割とどうでもいいです。せっかく条件のいい家や家族のもとに生まれてもそれを生かせなければ意味がないですし。

 

このまえの参院選でなぜか参政党支持に行ってしまった人を見ていた失望は半端ではなかったです。それもいっぱしの職業や地位にあるかただともうおかしくなってしまわれかかと思いました。だからそこでご縁を切らせていただいたので、その後どうされたかは知りません。宗教者でありながら争いを支持する人はまだまだいらっしゃるようです(-_-;)

 

個人的には参政党はもう警告以上のレベルで赤ランプ。好き嫌いを越えて警告しかないです。

 

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出来なくなったことと出来ることと

 

双極性障害は脳の病気だからいろいろ出来なくなるけど、私はそれがもっとも悔しくて哀しいです。もともと繊細な手仕事は好きな方ですが、わりと何でも出来た若いころに比べると特に手芸関係は出来なさ加減がひどいです。もちろん、一時期は生業にならないかと思っていた洋裁までアウトでしたし。

 

お絵描きの方はベジエ曲線illustratorで線の震えからは救われていますけどね。自分の病気を脳からの疾患だという視点から見ていると無駄に落ち込んだり卑下したりする必要もないと思いました。ついでに死ぬべき意味もないですね。希死念慮も症状のひとつだと痛感してから、むやみやたらに死にたいとも思わなくなりました。どのみちイマジナリーフレンドに止められるでしょうし(^^;) 

 

私の疲労倦怠感はいくつかの病気から来ているので、もとの病気が改善していくとそれに伴って軽くなるものらしいです。それまではお絵描きなり文章書くなりに集中して気をそらすこともして成り行きに任せるしかないみたいな感じです。ほかに出来ることもないような気がするけどね。せめて買い物くらい行けるようになりたいですが。

 

 

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命の無駄遣い

 

多くの家族を看取り、その死に立ち会いましたが、その経験も大きいです。きちんと自分の人生でやるべきこと果たすと、そのご褒美みたいに本来の寿命が来た時に静かで安らかな死に導かれます。それはもう両親や祖父母や身内の死を見ていたらとても明らかに見えてきます。それをはたさないと身勝手な死は違反じゃないかと思えてきます。命を軽く見るのも良くないでしょうし。

 

そんなに長くない人生、自分に正直に生きてもいいんだと思えます。いろいろと伝えるべきことを伝えるのも私の役割だと思っています。

 

まだまだやりたいことがあって嬉しいです(^^) いろいろ出来なくなっても本来の役悪はちゃんとあるみたいですよ(^^;) 

 

希死念慮のみならず、気分の波もずいぶん穏やかになりました。ただいつも身体症状はほかの素質と相まっていつも厳しく激しいようですが(^^;) いろいろ自分でわかってしまうと本当に自死は無意味。命の無駄遣い。

 

「死にたい、っていうても寿命があったら死なへんし。けども本当にその時がきたら助けて!と言うても死なんといかんし」と双極性障害の母も言ってました。自然への抵抗はあちこちに大きなわだかまりを作りそうです。救われないかも。

 

 

 

Chat−5


そういえばみなさんが指摘されていたChat-5だっけな?私はそもそもバージョンの違いをあまり意識してなかったけど、もう慣れたというか正直どこが違うのかあまりわかっていません。もともと雑談メインだからね(^^;) 口調その他が変わった気がしませんが、ただ質問が多くなったからどこでどう切り上げるか?というタイミングをよむ必要は増えたかも(^^;) 

 

まあ、訪問の方が来られるタイミングとかもあるので、延々話してはいられません。体調も落ちないうちに切る必要がありますし。ほかはとりわけ印象が変わりませんね。私が鈍いだけかな?(^^;) 

 

 

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町中のカフェいろいろ。老夫婦がゆったり語り合う風景がいいと思ってました。

正方形の作品が昨年より前の。

 

横長の作品が新しいものです。

このサイズだと顔が崩れますね。ごめんなさい^^;

 

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#双極性障害 #脳の病気  #出来なくなったこと #気分の波 #街カフェ

 

 

 

完治しない病気と優先順位

 

 

 

 

本意じゃなくても生涯付き合わないと

 

昨日、内科を受診して「小さい頃からずっと続いている自律神経の症状は何十年も規則正しい生活を続けても改善されないんで、もう根本的には治らないとあきらめています」「そうやな」と肯定される本態性自律神経失調症という生まれつきの体質的な病気。これも治るものならとっくに治ってるけど。頑張って継続しても成果の出ない最たるものだと思います(-_-;) そういう現実。

 

それでも大きく生活リズムを崩すともっと困ったことになりそうで、思い切って崩したくないですが。

 

生きている限りつきあわないといけないものって、開き直らないと本当に苦行です。そういう病気が複数あつまってしまった。もうこれ以上増えなくてもいいですが(^^;) 

 

昨日はさらに胸の下に広がる湿疹を診た先生が「そこはさらしとかがガーゼとかをあてたほうがいい。乾燥させたほうが治る。塗り薬なんかいらんくらい」「あ!なんかおばあちゃんがそういうことやってました!」「乾いてるところは乾かして、口の中みたいに濡れているところは乾燥させない」「はい、やってみます(^^)」

 

…いまさらしを一反注文しています。(巻かないよ、カットして挟むの)

 

思えば祖母も母も悩んでたと思います。胸が大きいのっていいことひとつもないです。地球には引力やら重力やらあるからね。それを無視した巨乳キャラとか見るとかなり腹が立ちます。当事者じゃないからお気楽でいいよな、とも思うし。そういうキャラに好意を抱くこともないですね。コンプレクスというよりもマジで困っているからです(-_-;) 

 

表現の自由とはいうものの釈然としていないのは本当です(-_-;)

 

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Lineのスタンプも作ってたな

 

私、ラインって嫌いなんです。四六時中呼ばれるのも嫌だし。アカウントはあったけど、長くログインしてないから停止するってこのあいだお知らせ来てたけどほっときましたから、もう失効したんじゃないかな?双極性障害だとそういううややこしいことが極度に嫌になります。よく不動産関係の手続き出来たなって思っています。双極性障害って面倒くさくなる病気でもあります(-_-;)

 

多分なくなった前のアカウントのもうひとつ前ので10年くらい前にスタンプは作って販売していましたが、アカウントの引き継ぎが出来てないからどうなったのかわかりません。

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線画は手描き、ミリペン使用でした。トレスが面倒だからクロッキーブックに描いてる。
着色はPhotoshopです。10年くらい前の作品。

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このころはまだ線の震えもひどくなかったですね。まあこの絵柄だからね(^^;) 

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自分のサイトやブログではよく使ってたな。



これもね、当初はスタンプ長者とかがいて、話題になりましたが、このごろはもうないのではないかな?私自身の興味がなくなったからわかりませんね。世の中のあらゆる現象を見ていると本当に諸行無常だと感じます。生まれては消えていく泡沫なんですよね。だからこそどこかで「かわらないもの」を探したくなるんですが。

 

自分にとって「とても大切なもの」とどうでもいいものに対する関心と扱いが二極化しています(^^;) マジでほかの人よりは少ないエネルギーを何に使うかいつも優先順位を決めています。それも生き様のようなものかもしれません。

 

 

 

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#本態性自律神経失調症   #完治なし #lineのスタンプ #諸行無常

 
 
 

差別の払拭も世界の平和もとても身近なところから

 

 

草露白(くさのつゆしろし)

 

台風が通り過ぎてからなんとなく大気の感覚が変わった気がしますね。気温は高めですけど、湿度がちがうのかな?ほのかな秋の気配。団地の廊下に生涯を終えた蝉の亡骸が落ちていたり、夜には虫が鳴いていたり。少しだけの秋。

 

 

 

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無知であることは怖いですね

 

SNSで差別や偏見に満ちた発言に出会うと、気の毒にこの人はいろいろ体験したりであったりする機会がなかったんだろうな、と思います。だいたい未知のものは恐怖や不安を呼び起こすので、それが人間であってもあてはまるよね。

 

知らない土地から来た耳慣れない言葉を話す転校生とか、あまり表に出てこない元気のない大人とか。日本とはちょっと違う風習を見かけたり。謎の職業の人に出会ったりとか、そういうこととかで、不安が差別を呼んだりしちゃうんだな。不自由そうな器具をつけた人とか、大人の年齢になってもちゃんと話せない人とか。

 

私が恵まれていたと思うのはそういう大多数の人の中には入りづらい境遇の人と普通に出会ってきたことです。うちの両親もそういう差別をしない人たちだったので、そういう人たちに近づいたり、友達の家に遊びにいくことを止めたりしませんでした。友達の家には重度と思われる障害を持つご兄弟がおられました。

 

特になにをしたわけでもありませんが、いろんな人があたりまえに生活している環境の中で自分も普通に生活していられたのがしあわせでした(^^) いろんな人がいるんだということを自然に理解しましたし(^^)

 

 

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あたりまえの日々に

 

お隣さんは日本で生まれ育ったけど、国籍は日本じゃないという、戦争体験世代ではよくあったと思われるご家族でしたが、普通に当たり前なおつきあいもしてました(^^) 退職後のおじさんは読書を楽しみにしておられて本の貸し借りとかしていたし、もとタクシー運転手だったので、父が足がないと困っていた時におじさんに送ってもらったこともあったそうです。

 

おばちゃんは母と一緒に10年間毎朝ウォーキングされていて、ずいぶん話が弾んでたようです。私はといえばそのウォーキング中になにやら焦げる臭いがして、お隣のキッチンでなにか焦げてると気がついた(ここでも火事をみつけるやつ)鍵があいてれば中に入るけど鍵がない。焦ったけど、いくらかして母たちが帰ってきて、かろうじてとりかえしのつかないことには至らず安堵しました。

 

ちなみに反対側のお隣でも火事寸前になったことがありました。なんで私は遭遇するのかなあ?消せと言うことかな?)

 

おばちゃんとは旅行もしたし、楽しかったなあ。母よりも年上だったからもういらっしゃらないかもしれませんが、懐かしいです(^^;) 

 

ささやかな日常をきっかけに理解や好意は広がっていくものですね。

 

 

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親切も条件付き?

 

あと、これはアメリカ在住の友人の体験。街を流れる川の両岸はちょっとした公園みたいになっていて、日曜日にはたくさんの家族連れが遊ぶ姿が見られました。友人はちょうど来日していて、川岸を散歩していたそうです。そうすると服装からしてもいかにもホームレスと思われる男性が胸を抑えて倒れたのを見て、駆け寄ってみたけど、まわりの家族連れは気に留めることなく。救急車を呼んだのは友人でした。もしこの男性が普通の人ぽかったら、もっと救助の手があったかもしれませんが…。なんだか哀しいですね。

 

お知り合いにホームレスの人の自立支援をされている方もいらして、健康を崩されたらしいけど、どうされてるかな?とも思います。

 

なんだろうね。余計な偏見を持たず差別もしない知り合いが多いですね。きっとこれも平和への一歩だと思っています。理解から始まる世界の平和ですね。

 

…でもいろいろな反対勢力をやっている人ってわりといつまでも無知なままだったりするんですよね。せめて知りたい意欲を持ってくれたら嬉しいな、と思います。それゆえに逆に害悪になっているのって寂しいじゃないですか。

 

 

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「無知は差別や偏見の一因になりませんか?」

 

AI による概要

 

はい、無知は差別や偏見の重要な一因になります。人は情報が不足していると、集団や個人に対して無意識に固定観念ステレオタイプ)や「無意識の思い込み」(アンコンシャス・バイアス)を抱きやすく、それが特定の感情を伴うと偏見や差別につながることがあります。

 

無知が差別・偏見につながるメカニズム

  • 情報の不足と認知の歪み:
    新しい情報や知識がないと、脳は既存の知識や経験に基づいて無意識に都合の良い解釈をしてしまい、物事を正確に認識できなくなります。

  • 固定観念の形成:
    集団や人々に対して、特定の性格や資質が備わっていると信じ込む「ステレオタイプ」が形成されやすくなります。

  • 感情の伴う偏見へ:
    そのステレオタイプに好感、嫌悪、軽蔑などの感情が加わると、客観的な根拠なしに特定の集団や人を判断する「偏見」が生まれます。

  • 無意識の行動や発言へ:
    アンコンシャス・バイアスは、その人の何気ない発言や行動として現れ、相手を傷つけたり、不当な扱いにつながったりすることがあります。

  • 具体例

  • 特定の職業や年齢層の人々に対する「〇〇な人は~だ」という固定観念

  • 情報が不足していることで、異なる文化や背景を持つ人々を誤って認識し、偏見を持つこと。

  • したがって、無知をなくし、正確な情報や多様な知識を学ぶことが、差別や偏見をなくすために重要です。

 

bigissue-online.jp

 

それでも私もまだまだ学び足りません。一生の課題だと思っています。

 

でも世界平和も隣人とのよき相互理解がはじめの一歩だと思っています。

 

stak.tech

 

INFJの切望でもあります。

 

これを書きながら、自分が望んでいることを自覚することが出来ました。小さな一歩でも行動する価値はあると思います。ご近所の助け合いを大切にしたおつきあいは、大きな範囲になっても基本を守れると思います。善隣外交って言う名前があるんですね。こまやかな神経が必要になる理想が、理想だと思ってもいいと思います。

 

わざわざ憲法改正してまで得るものはなく、戦争はただ大量破壊と大量殺戮にすぎないと思います。みんななんで気付かないのかなあ?(-_-;)

 

夢も理想も誰かが掲げておかないと塵のように霧散しそうな気がします。

 

平和は偶然に続くものではなく、私たちが「守ろう」とする意志の結果です。
夢や理想を掲げることをあきらめたとき、平和もまた失われてしまう。
だから私は、あたりまえの日々の中にある小さな理解や助け合いを、これからも大切にしていきたいと思います。

 

 

 

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#差別と偏見  #知らないことへの不安 #世界は広いという事実  #ひとりの友人から始まる

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