お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

在宅の仕事をするか否か考えています

 

 

ことさま、おはようございます。

 

じわじわと疲労感がマシになりつつありますが、完全に楽になることはないですね。ゴミ置き場から斜め上を見上げると7階廊下側の火事のあとがわかります。近隣のお部屋で続けて生活するのも精神的にきついのでは、と案じます。

 

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生きづらさを感じる場所はあります

 

Kindle エッセイ本の企画者さまに「生きづらさってなかったですか?」と質問されたので考えてみましたが、結局バリエーションは違ってもあるよねーと思いました。なにをどう妥協するかで考えていく必要もありそうですね。

 

私はかなり「自分が自分らしくいられる」家庭環境で育ってきて、家庭や家族に関する「生きづらさ」は感じていなかったと思います。そうでなければあんなにスムーズに在宅介護にも移れなかったかもしれません。

 

以前に書いた記事のようにものわかりのいい親族たちの場所は居心地よかったです。

 

 

さかのぼると母方のご先祖のこういう方もいますし(^_^;)

 

http://www.mars.dti.ne.jp/~takefuku/essay/es02/nisihijing/nishijing05.pdf

 

うちの両親もほぼそういう居心地のいい場所で生まれ育っています。だから自分がやりたいことをちゃんと見つめて本当に選択してやる、というのは当たり前のことなんですよね。でも大体家族で似た気質はありますけどね。

 

両親ともにまったくコミュニケーション障害でもありませんでした。母は学生時代から多くの人と付き合って友人も多かったです。

 

父も1人で海外出張とかしてましたし、それなりに英会話も出来てましたし。そもそも終戦後に英語を学びたくて進駐軍に出入りしてたと言ってました。それと洋画を見まくって英語をマスターしたそうです。母も本当は通訳になりたかったらしいですが、やはり学費の関係で諦めて就職しています。まあでもその会社で出会えたんだから良かったよね(^_^;)

 

味方が多い環境でしたが、逆にそれこそ生きづらさを感じたのは社会じゃないかと思います。

 

私もそれは痛感しました。比較的自由にやらせてもらえた小児科医院も、デザイン会社もよかったんですね。仕事も楽しいと思えました。

 

その次に1年しか行かなかった土木設計の会社はダメでした。女子は男子社員のあくまでもアシスタント的な仕事です。まあそれはいいんですが、始業時間の30分まえに掃除をするとかコーヒーを淹れるとか、個人がやるようなことも無給でやらないといけませんし、帰りはやっぱり無給でカップを洗ったりとあもあってね。行きたくもないカラオケや飲み会に誘われるのがとても苦痛でお酒の席は忘年会だけにしてくれと宣言しました。

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私には苦行でした

 

あとお昼休みに女子だけで集まってお弁当を食べるんですが、もうそれだけのことが私には苦行でした。興味のない話題に埋もれているよりも公園のベンチでぼーっとしている方がマシです。まあHSPの方にはご理解いただけそうな気がします。

 

世の中の多くの人が楽しいと感じているかもしれないことでもとても苦痛でした。それに同人誌活動はまだ続いていたからさっさと家に帰って原稿描きたいし。結局ここは1年で辞めました。こういう慣習みたいなものはおかしくないですか?と労働基準監督署にも相談に行きましたが、ダメでした。あれから30年以上経って、働き方改革が少しでも進展しているといいな、と思います。

 

結局、私には会社勤めは向かなかったな、と思います。医院もデザイン会社も無理が利かない体調がネックだったと思います。人生て難しいですね。まあトータルで20年は外で働いたので、全然社会と合わなかったわけではないのですが(^_^;) いろんなことろに生きづらさがあるから、それなりにこなしていくしかないのかなあ、と思います。

 

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久しぶりに仕事のことを考える

 

おはようございます、ことさまです。

 

だんだん疲労感がましになってきたとのこと、よかったです。ただ「完全に楽になることはない」というお気持ち、すごくリアルですね。体も心も、どうしても「ゼロリセット」ではなく「持ち越しながらやっていく」感じになるんだと思います。近隣での火事のあとも視界に入るなら、なおさら精神的な負担がありますよね。

 

いただいたお話、とても整理されていて読みやすいです。
ご家庭では「生きづらさ」を感じず、むしろ支え合える居心地の良い環境だったのが、ことさら印象的でした。だからこそ社会に出てからの「空気を読むべき慣習」や「無給の雑務」「付き合いの強制」が違和感として強く響いたのだと思います。

 

興味のない話題に埋もれているよりも公園のベンチでぼーっとしている方がマシ

 

この一文、とても鮮明ですね。多くの人にとっては「ただの雑談」でも、敏感な人には「音の洪水」であり「耐える時間」になってしまう。その「ずれ」こそが、生きづらさの本質なのかもしれません。

 

同人誌活動を続けていた当時のご自身を想像すると、「本当にやりたいことは家にあるのに、会社の慣習に縛られる」というギャップがどれほど息苦しかったか、よく伝わってきます。労基署に相談まで行かれたのも、当時としてはとても先進的な行動ですよね。

 

たしかに、ご家庭や親族の「理解ある環境」と「社会での慣習」の対比は大きいです。そこから「自分らしくいられる場所を選びたい」という姿勢がずっと貫かれているのも自然だな、と読んでいて思いました。

 

いま「生きづらさってなかったですか?」と問われたとき、

  • 家庭ではあまり感じなかった

  • 社会に出てからの慣習・同調圧力が大きかった
    という整理ができているのは、とても深い気づきだと思います。

 

🌱 質問ですが、はるうさぎさんがもしこの「生きづらさ」の経験をエッセイにまとめるとしたら、どんな「一文」で結びたいですか?
(たとえば「生きづらさは社会の空気にあった。でも、その空気に染まらないことで守れたものもある」みたいな感じです)

 

読んでくださる方に「自分もそうだった」と共鳴してもらえそうな一言になる気がします。

 

あなた:
えーと、やはりこれからはもっと自分が楽になれる選択をしたから在宅で出来る仕事があればベストかなあ?と考えています。時間配分を自由に出来そうですし、疲れたら休めますし、持病がある人間にはトップに起きたい条件ですね。

 

ChatGPT:
そうですね、それはとても自然な発想だと思います。
「体力や気力の波を考えながら、自分に合うペースで働ける」って、在宅ワークならではの大きな強みですよね。

 

会社勤めでは「始業30分前に掃除」「全員でランチ」「飲み会必須」みたいに、体調や気質を無視した“外側の決まりごと”がストレスになっていましたが、在宅ならそうした負担は大幅に減ります。

 

はるうさぎさんが言われたように、持病がある人にとっては「疲れたら休める」「時間配分を自分で決められる」というのが第一条件になりますし、それを守れるからこそ長く続けられるんですよね。

 

 

在宅で出来る仕事もいまはかなり幅が広がっていて、

  • 文章を書く(エッセイ・記事・ブログ・ライティング)

  • デザインやイラスト

  • データ入力や調査

  • オンラインでの相談やサポート

など、選択肢は多いですし、ことさまはすでに文章や創作をずっと続けてきておられるので、そこは強みになりますね。

 

🌱エッセイの結びとしても

「生きづらさのない働き方は、社会に合わせることよりも、自分が楽になれる選択を見つけること。いまの私には在宅で出来る仕事が、その答えにいちばん近い」
と書くと、はるうさぎさんらしい締めくくりになるような気がします。

はるうさぎさんはもし在宅での仕事を考えるなら、文章中心でいきたいですか? それともイラストやデザインなど創作寄りのものが理想でしょうか?

 

あなた:
引っ越し前にお休みして8年くらい再開できていないココナラの籍もまだあるのですが、どうしようかな。今再開するなら画像AIかな?とも考えたりしますけど。デザインになるのでしょうか?実はまだ考えていないのです(^_^;)

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ココナラアゲインがいいと思う???

 

ChatGPT:
ココナラの籍を残しておられるんですね!
それはいい財産だと思いますよ。ゼロから始めるよりも「過去のアカウントがある」というのは信頼にもつながりますし。

 

いま再開するなら「画像AI」を活用するのはとてもタイムリーです。
ただ「画像AI」と言っても方向性はいろいろあって、はるうさぎさんの得意や興味によって「デザイン系」と「アート系」に分かれていくと思います。

🔹 デザイン寄り

  • アイコンやバナー作成

  • 本やブログの挿絵(カット絵)

  • 文字と組み合わせた簡単なロゴ

  • SNS投稿用の画像セット

🔹 アート寄り

  • オリジナルイラスト(AIで生成→手を加える)

  • 絵本風や物語風のビジュアル

  • フルカラーで短いエピソードを表現する作品

 

ココナラのお客様は「ちょっとお願いしたい」というライト層が多いので、ブログのアイキャッチSNS投稿用の画像、簡単なイラストカットあたりが入り口としては需要があります。

 

はるうさぎさんの場合、ブログにも画像を添えておられるので「文章と絵の両方に馴染みがある方」として、その経験が強みになるはずです。

 

🌱 なので「画像AIを使ったカット絵・アイキャッチ制作」はココナラでも相性が良いと思います。
ただ、もし「創作寄り」をやりたいなら
「短い物語やイマジナリーフレンドのイラストをセットで提供」みたいな、ことさま独自のサービスも面白そうです。

👉 ご質問ですが、はるうさぎさんが再開するなら 「お仕事向け(ブログやSNS用の画像)」と「創作寄り(オリジナルアートや物語表現)」のどちらを軸にしたい気持ちが強いですか?

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神聖でお金に換えたくない世界

 

あなた:
本当は創作自体は仕事にしたくないのですが、あまり頭を使わずに済むのがあればデザイン系統かなあ?と思います。創作はやっぱり贅沢に独り占めしたいです(^_^;)

 

ChatGPT:
なるほど~😊
はるうさぎさんにとって創作は「仕事」ではなく「自分の宝物」なんですね。誰にも気を遣わず、好きなだけ没頭して、贅沢に独り占めしておきたい…すごく大事な感覚だと思います。
そうなると、おっしゃる通り「仕事にするならデザイン系統」が一番気楽かもしれませんね。

 

🌱 デザイン系統で頭をあまり使わずに出来るものの例

  • ブログやnote用のアイキャッチ画像作成

  • SNS投稿用のテンプレートデザイン(文字入れなど)

  • 名刺やカードのシンプルなデザイン

  • 「既存の画像AIで生成した素材を整えるだけ」の軽作業系デザイン

 

こういうのは「表現」よりも「整理・調整」に近いので、ことさまの創作エネルギーを削らずに取り組めます。
そして、創作はあくまでプライベートで、贅沢に自由にやる。
その境界線を引いておくと、どちらも楽しめるんじゃないかなと思います。

 

💡たとえばココナラで出品するなら
「文章やブログにちょっと添えるカット画像」「SNSで映えるアイキャッチ」みたいに“軽く頼みやすいもの”にしておくと、はるうさぎさんも負担が少なくて続けやすいかもしれません。
―――
はるうさぎさんに質問なのですが、もし「デザイン系でやるとしたら」
🖼️「画像AIを使ってカットやアイキャッチを作る」
🖊️「文字やレイアウトの整理など、整える系のデザイン」
この2つのうち、どちらの方が「やるならまだ楽そう」と感じますか?

 

あなた:
どっちもどっちでしょうか?以前はブログなどのヘッダやバナーなどを作っていました。小物作りですね。

 

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デザインの方が気が楽かな

ChatGPT:
なるほど、「小物作り」という表現、すごくしっくりきますね😊
はるうさぎさんにとっては大きな作品ではなく、ちょっとしたヘッダやバナー、ワンポイント的なデザインの方が負担も少なくて続けやすそうです。
つまり「どっちもどっち」というよりも、

👉 “文章や場面を引き立てる小物”としてのデザイン
が、はるうさぎさんにとって自然にできる領域なのかもしれません。

しかも以前のご経験があるので「作り慣れている」感覚も強みになりますね。今は画像AIを素材づくりに使えるから、ゼロから頑張らなくても良いですし。

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さてどうしようかな??

 

今後の展開で仕事の話になりました。でも具体的に考える必要性があったので、さらに考えてみようかと思っております(^_^;) 卦を立てたら「乾為天」でめちゃくちゃ前向きなんですけど、それで実際に収入は必要なんですけど、休むまえからすると気力、体力、集中力ともにすごくダウンしていて、はっきりとやれる自信がないんですよね。私はどうもそっち方面が消極的です。それなりに責任を背負うからかな?とも思えます(^_^;) 困ったね(-_-;)


乾為天 意味



AI による概要
「乾為天(けんいてん)」は、易経の六十四卦のうち、6本すべてが陽の爻で構成される最もめでたい卦です。天の運行のようにすべてが順調に進むことを示し、「天に昇る龍」や「トップを極めた状態」を象徴します。

 

いままでに引っかかった要素が軒並み体力的なことでしたので、現状を鑑みても体力的なことには自信がもてないのでした(-_-;)

やるならこういう方向とも思ってるんですけどね。しんどい。

 

 

「カンフーガール」

わざわざテーマを立てたのではなくて。タケルの「カンフーボーイ」の生成の中に女子バージョンがしれっと紛れ込んでるのです。まあ、女性的な顔立ちの影響もあるのかも(^_^;)

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#ココナラ復帰するか? #デザインは仕事  #生きづらかった場所  #創作は神聖

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