昨日なにげなく障害者手帳を見てみて、交付からちょうど20年経っているのに気がつきました。
でもその20年、病人らしく養生していた記憶がありません。
両親の介護、在宅でのデザインのココナラの仕事、家の売却、引っ越し、などなど結構あっというまだったような。
「何もしない」というのは逆に出来ない気がします(^^;)
でもね、私は最初からこの病気が治るとか考えたことがなかったです。完治がない病気なのは知識として知ってたけど、それ以前にものごころついた時にはすでに本態性自律神経失調症と付き合っていたから。こっちもほぼ体質だから治らない感覚があって。
他の患者さんはこの「完治がない」ことにものすごくショックを受けておられますが、そういうショックは不思議なほどありませんでした。「自分ができることをやればいいや」という、ある種の諦観。
で、そのとおりにしてきたから、少しでも動きやすくなって欲しいし、そのための努力はしてきたけど、不思議なほど完治にはこだわっていません。今もね。共生でいいと思っています(^^)
でもだからこそ、20年の間に結構いろんなこと出来たしね(^^) 生まれつき身体障害のある方も似たような感じをお持ちではないかと想像しています。まあ私はたぶんこれでいいのよ。後悔は全くといっていいほどありません(^^)
ハンデといえばハンデだけど、そもそも他人と比較するのも無意味だし。劣等意識もないんですよね。病気があろうとなかろうと私は私。これでいいのだ(^^) もう希死念慮もほぼないです。そこの葛藤からは抜けました。残りの人生、出来る範囲で楽しみたいです(^^)
ああ、でも昨日は本当にやる気が出なくて、終日ぼーっとしてました。ご飯はちゃんと作りました。ネットスーパーでいくらか食材買ったので、2、3日はなにか作れるんじゃないかな。イメージがまとまれば絵も描けるけど、まだそこまでの段階に行っていないのです。
なのであまり書くことがなくてすみません。
父の臨終の時、私はずっと側に立って手を握っていました。ぽつぽつと語りかけていたんですが、不意に「魂の目が開いたね」という言葉が出て来ました。自分でも何を言ったのかわからないけど、その言葉自体はよく覚えています。
昨日、ある方のブログをたまたま読んで意味がわかりました。死が近づくと肉体の目の視力は落ちる替りにあちらの世界がよく見える「霊体の目」が開くのだそうです。それでお迎えにきてくれた人などがよく見えるとか。そういう意味か、なるほど。15年ぶりに腑に落ちる理解に出会えて嬉しいです。わかんないけど、とにかく言わないといけないって思ったんです。誰かが私の口を借りて父に伝えた感覚。
私は直感的に理解したことをちゃんと説明できるようになるまで数年を要することもあるんですよね。鈍い?(^^;)
奈川トモさんの「お前タヌキにならねーか?」に出てくる「駅前のチャウチャウ亭のエビワンタンと青菜炒め」というのが美味しそうだったんで、AIさんに試作してもらったんですが。
これは違うで、色からしても違うし、これはあこれで美味しそうなんだけど、違うんだな。おしいよね。
私、中華はわりと好きですが。
遊びの続きで遊園地。テーマパークでもいいんだけど。キャラグッズとかは作れなかったようです。ユニークな服が出て来ます。メリーゴーラウンドの変な動物達も。なんか独特の世界があるみたいです。
なんだろうか?この服は???
浮かぶソフトクリーム。
いきなり着物。撮影用のレンタル??
(なんでこんなところで逢うんだ??)邪魔するなよー、とアイスを奢る。
お土産物コーナー。
溶けないアイス、じゃなくていくつめでしょうか??
これ全部同じプロンプトで作ってます。買ったのは「メリーゴーラウンド」「観覧車前」「お土産コーナー」という場所の指摘だけ。性別も年齢もいじってませんでした。でもこれ以上のバリエーションが出来てます(^_^;)
チャウチャウ亭の謎の中華料理置いときます(^^;) なんかごちゃまぜだな~(^_^;)
「お前 たぬきにならねーか?」5冊セットです。