1日横になれないと大変疲れます。横になる場所もないし。この下書きを書いたら寝ますね。
斎場より。
斎場に行ってもいいのは10人までの決まりで、食事も中止、フードコートも自販機のみ。マスク必須です。まあ反マスクの人は駄目だな…。それでもコロナがひどかった去年までと違って、ちゃんとした葬儀が出来るだけ良かったです。去年はまだコロナで亡くなった方は病院から直行で、遺骨になるまで会えないとお聞きしたので……(;_;)
お骨上げまでしたら帰りは遅くなりますね。
でもなんていいお天気。迷わずに天に飛べるね(^^) 伯父の棺の中にしっかり飛行機のプラモが入ってて準備は満タンなかんじです。離陸です(^^) おばちゃんとうちの両親にもよろしくね。いつかまた会いましょう。いっぱいの花に囲まれて。
詳細を聞くと、伯父は確か十数年前に大腸ガンの手術をしてるんですね。その時は治ったはずですが、いつのまにか再発して転移していたみたいです。12月にお腹になにかあるみたいだから検査しましょうね、ということで。でも今月いきなりひどい痛みが起きて救急で行ったら、ちょっともう手の施しようがないと言われたそうです。それで2週間後に亡くなりました。
私の祖父もそうでした。気付いた時には手のほどこしようがない感じ。このケースだと長く寝たきりにはなりませんが。いまほど医学が進んでいない時代にはこういうケースも老衰として扱われた可能性がありますね。在宅死ですと多いパターンだったのかもしれません。
従兄の話では99歳とはいえ、頭は清明で毎日PCでYouTubeで動画を見るのと、数独などを楽しみにやっていたそうです。実際に99歳の顔とは思えないです。しわもなくつるんとして、大変安らかなお顔でした。エンジニアなので、かつては機械類をいろいろ発明したらしい。図面を描かずにイメージで作る人だったそうです。
PCはもうかなり昔から触っていましたし。高齢でPCに触っておられる方を見ても驚かないのは伯父の例を知っているからです(^^;) そういうのもギフトかな?
もっと長生きしたかったらしいですが、認知症じゃないから何かを発明する可能性もあったかな。お棺の中の飛行機のプラモデルが父と共通の世代の象徴のようでした(^^) 高度成長と日本製品の信用を支えていた世代の人たちですね。
そういえば去年、京都市から100歳のお祝いをなにかもらったそうです。立派な骨だったなあ。でも手術あとのチタンは残るんですね。認知症じゃない方は喉や頭のの骨がしっかり残る気がします、と斎場の方が。
従兄は8年間介護をしたそうです。隣に従姉の家族もすんでいるとはいえ、がくっと疲れないでね、と祈っています。まだ手続き関係が山のようにあるけどね。 私はひとつずつ片づけたら早めに忘れたみたいです。具体的な大変さが記憶に残ってないです(^^;)
叔父の方は86歳になったと言っていましたが、いまだにネットで在宅でアドバイザー的な仕事を続けているそうです。生涯現役になるんじゃないかな(^^;) この2人を見ていると「◯歳だけど頑張ってます」と年齢をウリには出来なくなります(^_^;)
母方の親族で認知症になった人を私は知らないので、なんとなく認知症になりにくい家系なのかな?生涯現役がいいのかな?(^^;)
亡くなった伯父はいろいろとサプリを飲んでいたので、なにか効果があって99歳まで生きたのかどうかは不明ですが(^^;)
死ぬまで学ぼうという意欲は私にもあるわ。なんかやっぱり血が繋がっているだけあるかも、と思います(^^;)
ながらく閉めたままだった工場の片づけもとっても大変だと思いますが、手続きともども頑張ってね、と願っています(^^;)
母の葬儀は5年前ですが、いろいろと大変だったことは、片づけてブログに書いたら忘れるという感じです。まさしく備忘録(^^;) よかったことだけ覚えていればいいですし。
そういえば叔父夫婦には子供がいないので、ふたりでお寺でひと月くらい講義を受けて授戒(たぶん)。そこのお寺の墓地も買ってすでにお墓も建てたそうです。赤い文字で戒名入ってるとか。なんかとっても「らしいな」と思いました(^^)
叔父夫婦の終活ってこれなんだね(^_^;) なんか私はやっぱりこの親族の血を引いてるわ(^_^;)
いまもひとつひとつ、アナリティクスとペンタブの件が片づいたのでやっと先に行けるな。でも時間をかけているうちに現実の方が追い付いてしまった感はあります(^^;)