お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

どこかで開き直るのが賢明よね

 

こういう解釈は楽になると思う

 

昨日の続きみたいな話しですが、たまたま見つけたQuoraの回答です。私ここは「若い人対象の知恵袋」みたいな感じで、あまり専門的でもないので、やめたり戻ったりしてますが、読んでいない時期でもたまに検索に引っかかることがあって、読もうとしたらFacebookに連携してされてしまいました(^_^;) まあ本当に興味がある記事だけね。ウィキペディアというよりは町の雑談みたいな感じです(^_^;)

 

で、そのたまたま見つけた記事ですが、この解答されている方は2年前にこれを書かれているのですが、実際にお話を聞かれたのが10年以上前だとのことです。美輪明宏さんの話。

 

安楽死を望む人の中には「そもそも生まれて来たくなかった」という反出生主義のような意見も多々ありました。生まれてきたくなかったのに生まれたから悩み苦しむ。そもそも生まれたくなったという厨二病みたいな。

 

まあ、それ自体は割と誰でも通る道ですが、幾つになっても続いているのがね…(ーー;) まああまり大人という印象もないけど。思考が利己的だし。

 

 

 

 

いつの間にか知っていたこと

 

 

「子供を許可なく勝手に産んで、勝手に不幸にすることが許される時点で、人間って例外なく悪人だ。」この主張に反論できますか?

 

10年以上前の話ですが、美輪明宏さんがこんなことをおっしゃっていました。

 

 

「最近スポーツジムって流行ってるじゃない。あれ不思議だと思わない?なんでわざわざお金払って疲れに行くのよ。

 

やっぱり余分なお肉を落として綺麗になりたいとか、なまった身体を鍛えて健康でいたいってことなのよね。それが幸せにつながると思うから、わざわざ辛い思いしに行くんでしょ。

人がこの世に生まれてくるのも全く同じなのよ。

 

人はね、自分の弱いところを鍛えるためにこの世に生まれてくるんですからね。人生っていうのは魂の修業なのよ。だからこの世は修行をする場、スポーツジムなのよ。そりゃあ辛いことばっかり起きるに決まってるじゃない。楽するために来てるんじゃないんだから当然でしょ。

 

しかもこれ、自分から進んで生まれて来てるのよ。ただ、生まれた瞬間にその目的はすっかり忘れてしまうようにできていて、それを見つけるところから始めるのが人生なんですからね。

 

そう考えたら、文句なんて言ってる場合じゃないじゃない。乗り越えるために来てるのに、文句ばっかり言って目的を果たせずに終わっちゃったら、死んだとき閻魔様に『あんた何しに行ったの?』って言われちゃうわよ。」

 

 

美輪さんのこの言葉はスッと私の腹に落ちました。10年以上経っても鮮明によみがえります。

 

科学的根拠うんぬんはこの際置いておくとして、このように考えることでいいことがたくさんあると思うのです。

 

まず、人と比べることに全く意味はないということは誰の目にも明らかです。気持ちもかなり楽になるように思います。

 

それから、よく「神は乗り越えられる試練しか与えない」などと言われますが、この考えで行けば神に与えられたどころか、自分が必要だと思ってあらかじめ予定したことなのですから、より主体的に取り組めるのではないでしょうか。

 

また質問文の主張ですが、これで人をねじ伏せたところで誰も幸せにならないように感じます。何より、このような考え方を取り入れてしまうことで、自分が幸せになる道を自分で閉ざしてしまうように感じてなりません。

 

一方で美輪さんの考え方は、誰もが幸せに生きられる方向を指し示してくれているように思います。

 

 

https://qr.ae/prRABM  2021年 Tsuji Ryutoさん

 

 

 

 

 

宇宙の美しさとともに

 

この解答者の方と同じく、私もこの説はあっさり腑に落ちました。

 

いや、正確にはそれ以前から知ってたことを再確認したんですね。いつからだろう?統一教会のセールスが来る前というと40年以上前になるんですが、その時にも知ってたからなあ。

 

ま、人類が誕生してしまって、いままで繁栄して地球というかけがえのない住処の存続まで脅かしているからなあ。核だのなんだのと言いだした時点で言い訳不可能ですよ。行き着く所身勝手な欲望でしょ。お子ちゃまだと思ってしまう。本当の子供の方が地球の価値に気付いてますよね。

 

私はあまりスピ系の本を読みませんで、子供の頃からよく自然科学分野の本を読んでいました。動植物や天文とか宇宙関係の本ですね。そういうものに触れると世界の精緻な美しさに感動します。そうすると次第に個々の存在を超えたものの大いなる何か(サムシンググレイトというやつね)を感じるようになってしまうんですね。自分の中にもある、そういう人知を超えた存在を嫌でも感じてしまう。

 

私はそれを「天」と呼んでますが。それに気付くと人間は奢らなくなりますね。

 

慢性膵炎をきっかけに気づいたささやかでも大きなことと言いますか。あの時の病気も長くかかったけど、そういう気付きを得たから全然無駄じゃなかったな、と思います。美輪さんのお話などはその裏付けみたいな感じでした。

 

でもそういう設定があってもいいよなあ、と納得すると生きるのが楽になるのは確かでした。今の若い人たちはそういうものと出会わないのかあ?と思います。なにか役割とか意味とかがあって、生かされている感じ。私は大きく感じます。

 

家族を介護して看取るとそれもやはり感じるから、臨終を見送ると「長い間お疲れさまでした」というねぎらいの言葉が自然と口をつきます。

 

平凡な人生でもいいのよ。懸命に生きてこられたこと自体が尊いのです。だから私には死ぬ時を自分で決めたいというのを不遜だと思っています。もともとの定命は生まれる前から大体決まっている(多分自分で決めたと思う)と思うので。その限られた期間の中で、なにをどこまでできたか?ですよね。魂が少しでも成長できたか?ですね。

 

そういう価値観に触れずに大きくなった世代を不憫に思います。競走も無意味だし、あまり野心も必要ないし、そもそも他人と比較する必要もないから、そういうことで自分を擦り減らさなくてもいいのにね。

 

なんか人として弱体化しつつあるのかなあ? やっぱり人類滅亡の時はあまり遠くないのかも。

 

私は個人的には死刑反対です。生きているうちに罪を自覚してきっちり反省して後悔して償って欲しいと思います。こういうのは来世にも影響が大きいと思うけど、少しでもそれを少なくするためにもね。加害者と被害者の魂の救済にも関わってくるわけです。

 

 

 

お金を払って疲れに行くジム、かあ(^^;) いや、私は現実を生きるだけで、肉体と折り合いをつける努力だけで充分に疲れているので、ジムは無理ですけど、結構ハードな人生はわりと頑張ってると思います(^_^;)

 

こういうこともわかってきたらしい。性格的なものが親子で似る理由のひとつとか?

 

双極性障害ともワンセットみたいな思いやり遺伝子ね。そういうのは代々昔から続いていそうな気がします(^^;)

 

これに限らず、生来の自分の特質を生かして生きられたら、後悔の少ない人生になるのかもね(^^;)

 

 

 

私は作ってないですが、弟は作りました。でも極力使わないようには言ってあります。病歴とか差別されかねない危険もあるしね。色々と怖いです。もうマイナカード廃止させよう。我々には何もメリットないです。

 

 

 



自分の感受性くらい

 

ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

 

     茨木のり子

 

 

この詩は自分の足で立つために杖にもなります。

この詩が苦手と言う人、自分の人生を生きていますか?

 

 

 

 

 

 

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