何度もあると鼻血もやばい(-_-;)
財布の中の紙の間から、おそらく自分でしまったらしい1万円を発見。ラッキー(*^^)と思ったけど抜けてますね。実はよくある。大事にしまいすぎて忘れる。偶然見つけて忘れてたからラッキー、と思うのって不思議じゃないですよね?財布の中には絶対使わない種銭も入ってるし。
種銭は中身がゼロにならないおまじないです。万一使えばすぐに戻さないといけないらしいです。これ、わりと効くかも。忘れるからかな(゚∀゚; ←ダメじゃん。
そういうことを言ってたら、弟がまた鼻血が出ると言うので様子見中です。今のところところは多くないですが。足の痛みでバファリンの飲み過ぎじゃないかなあ。血液さらさらになりすぎて。さらさら目的で処方されるのは、小児用バファリンじゃないかなあ?
でも何度も出血するということはその辺の血管のダメージが考えられます。脳にも近いことですし。私、あえてお酒については黙っていたけど、一昨日あたりはかなりアルコールの匂いがしてました。毎日ではないし、たぶん昨日も飲んでないと思われますが、注意信号なのは間違いないと思います(-_-;)
もしもまた多量出血になれば救急車ではなくタクシーで病院行きになります。救急車はコロナ禍の現在、指定の搬送先にしか行けないからと。付属病院に連絡してタクシーで走るのが確実。頭の中でシュミレーションはしました。そこまでいかずにすめば助かります。
こんなに年金支給日直前でギリギリで、タクシー代片道5000円近くは痛いです(T.T) 往復でいちまんえん……。忘れてたお金と同額になると皮肉すぎるよね(-_-;)
感受性が強い人は辛さを察知する。「怒りや哀しみ、マイナスの感情を抑制」して情動を押し殺せば心まで失う。そうなる前に大切なことは『感情の上書き』。感受性が強い人は幸せも察知する。「喜びや楽しみ、プラスの感情を解放」して、辛いときこそ身近な幸せに目を向けよう。感受性の強さは武器になる
— ピノ | 芸術肌のおもち (@pino_mochi) 2022年10月11日
なぜ読書は脳にいいのか。「本を読む」は、「文字を追う」と違うから。分解してみるとわかる。さっき読んだ文章から得た情報を、整理しつつ頭の片隅に置いて、その情報使って次の一文読み解いたり、想像したり、続き予想したりもするのが読書。つまり脳はフル稼働なんです。なるほど鍛えられるわけだ。
— おとん (@oton5964) 2022年10月11日
気分の波は穏やかに……
昨日は訪問看護の日でした。
「恭子さんは身体表現性の症状はあるけど、気分の波は穏やかですね」と看護師さん。
「20年も付き合ってると自分の機嫌は自分で取れるようになりますね。軽躁のエネルギーは創作に向かうのも大きいし、リーマスの血中濃度もちょうどいい感じです」
これも努力の賜物と言ってもいいですか?(^_^;) 本当の苦労は多分ブログにも書けてないと思います。
思考も気付きも行動も部分的には記述していますが、あとはきわめて個人的なもので、ささやかと言えばささやかで。でもぼんやり状況を眺めているだけじゃなくて、観察して分析して考えて……と繰り返しですから……。
自分を大事に見てきた成果かもしれません。身体症状は本当に持って生まれたものだから仕方がないのですが。体調悪くても気分がそんなに沈まない、落ちてもかなり早くに浮上出来ることで、波が小さくなっています。
軽躁のエネルギーはどこかに貯めておけるのかな?とにかくお絵描きは精神安定剤ですから……。
20年前、受診する前はずっと泣いていたけど、最近では自分のために泣くことはなくなりました。泣くのはもっと純粋で広い対象についてだと思います。メインは感動するからですね。
でもそのささやかなことも積み重なって行けば自分も変わります。自分を投げ出さないことで得たものは大きいかもしれません。
「情けは人のためならず」
もともと私は自分がぐったりしていても家族とか知らない人が相手でも、相手が困っていらしたら、なんとかしようと思うとどこからか不思議な力が湧いてきて、本当に一段落するまで頑張れたりするので、利他の力も馬鹿にできません。
それでいながら、自分自身も一番大切ということで、介護中でも闘病中でも創作はやめてないですし(^^;) なんか本当に誰かのために動くのは不思議な力を引きだしてくれます。
あれってなんだろう?うちの両親もそうでしたが、我が子が重い病気になったとき、もう自分が具合が悪いのも忘れて走った、という……。
私が修学旅行先の仙台で慢性盲腸を悪化させて倒れた時、両親と小学生だった弟が3人で迎えにきてくれました。その時は母、扁桃腺が腫れていて熱が39度あったそうです。でも連絡の電話が入った時に「一瞬でそれを忘れた」と言ってました。
私もそれの逆パターンだっただけですね(^^;) 親の緊急事態に我を忘れて動いただけです(^^;)
これもあとで知ったのですが、うちも豊かじゃなくて、伯父に言ったら「お金はあるか?」と訊いてくれたらしい。それがね、前日に父の夏のボーナスが出たばかりだったのです。ベストなタイミング。こういう時は助けが入っています(^^;)
そういう時にちょこっと神さまだか守護霊さんだかわかりませんが、奇跡みたいな応援が入ることもよくあります。たぶんそういう体験もすごく大事です。自分はひとりで生きるにあらず、多くの人に生かされている実感なども。
「運がいい」と感じる時は天にサポートされてると思うので、感謝しています。なので、たとえわずかな金額でも寄付したりしてささやかなお礼にできたらしてます。
誰かが困っていたら、いや、もうなにも考えなくても身体が勝手に動くんだもん(^^;)
みなさんにもあると思います。大切な人を守ろうとする時に発揮される力はとてつもなく強いですよね。
看護師さんは病院勤務されてたので「双極性障害の人の入院のパターンは躁状態で誰かに迷惑かけて、という患者さんが多いですね」というのが現状らしいです。うつの時よりも躁状態の症状が大きい患者さんが多いのかも……。ってから傍から見た迷惑度が違うのかも……。
通院当初は私もかなりうつも希死念慮も強かったけど、いまの穏やかな波は勉強と工夫を重ねた成果かなあ。いまですと希死念慮は「まず寝よう」になります。下手な考え休むに如かず。一旦寝て起きて脳をリセットするべし。
軽躁パワーは創作にいくから他人に迷惑かけてる暇がないですね。最近双極性障害がピンとこないと思われてそう(^^;)
でも症状固定したから間違いないです。自分なりの学びと気付きと努力の結果だと思ってくだされ(^_^;) 学びと気付きと実践は大きいよ(^^) 特に魂の深さまで届きますとね(^^;) ある種の悟りみたいな。
でも穏やかな波の地点に辿り着けたのはきっといろいろ乗り越えてきたからです。もう本当にその経験の実感が強いので、まだほとんど経験していない若い人は早い段階で人生を諦めるのは本当にもったいないですね、と看護師さんとも意見が一致しました。
人生早急に結論出さずとも大丈夫ですし(^^)
見返りは必要ないです。お互いさまだから。
精神疾患の人でも、誰かをサポートする機会があって(あくまでも自分の病状がかなり良くなって)誰かをサポート出来る機会があれば、ささやかでも自信が出来そうに思うんですけどね(^^;)
波は静かでも感動はするのです。もうささやかなものからでも。怒りも憤りもさざ波はあります。そういう感情とはまた別に気分の波があるようです。いろいろと乗り越えたからわかるものもありますね(^^) 穏やかな波間にもキラキラ光るものがあるのですね(^^)