受診してきました
眠いですし、おなかが空きました。えーと、早く起きすぎてしまって、でも食事抜きなんで、せめてブログの下書きくらいはしていようかなあ、と思ってます。ホントに起きてすぐには動けないのがデフォルトなんで(緊急事態以外は)、予約済みのことに対しては早めの準備が必要です。まだ午前4時半ですが。コーヒーでも淹れようかなあ…。
…………
で、昨日はやたら何度もトイレに行くなあ、と思ったらコーヒーのせいみたい。カフェインの利尿作用ですね。いつも飲んでる人は多分気付かない。私は何ヶ月に一度しかコーヒーは飲まないからよくわかるみたいです(^^;)
クリニック受診してきました。帰路のタクシーが待つことなく目の前で止まってくれて(しかも地元の会社だった〕こういう時は非常にラッキーだと思っています。これもご縁なので(^^;)
ここ2年で急に老けた気がすると言うと、先生と弟に「そら年取ったからや」と言われてしもうた(^^;) 身も蓋もないわね(-_-;)
で、先生が弟に「そやからもうちょいサポートをやな…」「いや、やろうと思うんですけど、なかなかで」まあ、気持ちはあるんやな、と思っておきます(^^;)
安静にしすぎて筋肉が落ちたというから、それこそ運動がてらにゴミ出しとか、食器洗いとかなんでもないような家事をやってくれんかなあ、と思う。でも大抵は言うだけ。
介護保険でヘルパーさんとも考えるんですが、私も無目的な運動が嫌いだし、徒歩で買物行くとか、どうしても必要に迫られることと一緒なら動けるかと思いました。だからあのカートを注文しました。介護保険の補助は出ませんが(-_-;)
ものもらいが治ったら口(舌かな?)が苦い。食事のあと限定です。以前から時々あったからコロナじゃないです。歯磨きしてうがいしてもだめで、キシリトールのガムを噛んでやっとましになる。亜鉛不足かドライマウスかストレスか加齢か疲労かわかりませんが、本当に次々に不調で嫌になります(;_;)
ものもらい以降、起きて時間が経たないと眼の焦点が合わないです。かなり長い時間モニタの文字が見えません(-_-;) だからマジで一気に老化した感があるんだってば。哀しい現実ですが(ノ_・、) もう髪も真っ白だし。今まですごく無理してきた実感もあるし。やっぱり長生きは出来ないと思います。別にいいけどさ。
個人的にとてもひっかかる
このごろなぜか増えているらしい、人の手なんか到底届かない上の方になバカ高い本棚の書店や図書館。あれってなんなのよ、と前から思ってた。本棚なのに非実用的すぎるのはやめて。
ただの読者から見ると手が届かない場所にある本はそのま心の距離を感じてしまって、本に拒否されてるみたいで苦手です。ぱらぱらとめくれないし、おまえ来るな、と言われてるみたい。物理的な距離が心の距離に感じてしまう(;_;) だから行きたくない。 https://t.co/oaGiB0E4mM
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年3月27日
私は単なる文化に飢えている読者でしかないけど、手が届かない高い場所に置かれた本は地震の時に振ってくる恐怖と、手軽に手に取れない目線の高さがカチンときて、当初からすごい抵抗を感じてしまう。ああいう企画には反発しかない。嫌いだ。レイアウトの遊びには本そのものを使わないで欲しい。
本とはどこまでも対等の位置にいさせて欲しいのよ。わかります?人との出会いに高さの違いとかあったらフェアじゃないやん。単なる飾りだと触るためのものでもないやん。あれは違和感しかないよ。飾りたければ壁紙でもええやん。このごろ売ってるよね。
自分が障害者になって、しかもそこそこの年齢になって、さらに不自由が増えると、いかに世の中の多くのことが障害者に配慮されていないか身にしみるよね。差別とまではいかないけど、さりげない心遣い的な。まだまだだからせめて自分から気付いたことはやっていきたいと思う。
まあ、これって健康な人が健康のありがたさが認識出来ないのと同じことかも。不自由がわかることから出来る改善はあると思う。
私は眼が悪いから高いところの本のタイトルなんか見えない。取りにも行けないし、やっぱりあの書棚には意地の悪さを感じるけど、子供は見えるのかなあ?不自由に不自由を重ねたら距離が拡がるばかり。じゃあネット書店を利用するしかないってことになってしまいます(ノ_・、)
意地悪じゃないかっこいいデザインも出来なくはないと思うんだけど。街の本屋さんの手作りPOPには暖かさを感じる。かっこよさとかじゃないんだな。「これいいですよ(^^)」がストレートに伝わるから好感度高いです(^^)
高所の掃除が云々よりも、近づけないあの距離感を問題にするべきだと思うよ。写真載せたいけど、実店舗になるからやめておきます。でもこういうのは各地で増えつつあります。
京都弁で言う「いけず」を形にすると、ああいう本棚になるんだと思った。いやらしいよなあ。酷評しかできない。関心がないことならほっとくけど、やっぱり本のことだから言わずにおれませんでした(-_-;)
写真のリンクだけ。そしてこういう書棚はここだけじゃありません(-_-;)
お洒落だとかかっこいいとかの問題じゃないと思う(-_-;)
2019年に引っ越しのために処分した本は2000冊くらい。結局また読みたい、未知の本も読みたいでかなり増えつつあります。だって「本がある。いつでも読める」のが私の幸せで精神安定剤なので、もうあとは私が死んでから処分してください(^^;)
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年3月28日
内田義美さんの本とかもあるぞ(^^;)
無駄な抵抗はやめました(^_^;) いちいち全部の感想を書くのも面倒だしやめました(^_^;) 寝室に当たり前に本がある幸せ(^^)
価値を自分で作るということ
うちの前の廊下にはよくスズメが来ている。
— 藤本恭子(はるうさぎ)/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2022年3月28日
なんとなく居心地がいいらしい。彼らにとって居心地がいい場所は住人にも客人にも居心地がいいと思う(^_^;) 鳥が多い環境もいいものだ。
このあいだからずっと「居心地の良さ」について考えていましたが、これって私個人には非常に大切な感覚かもしれないと思っております。快、不快っていうのは大事なんだよね。毎日の中で不快を我慢していると調子を崩したり病んだりという不具合が出てくるみたいで。
少なくても家に帰れば心からリラックス出来ると言うのは最低限必要だなあ、と思います。それとベッドの中、お布団の中ね。これはみなさん、そうだと思いますが。
別に洒落たインテリアとかじゃなくて、好きなものに囲まれた寝心地のいいベッドとか最高ですね(^^)
私はたぶん、そういうものを作るのも好きなんだと思います。私の価値観はあくまでも自分基準なんですね。世間的なあれこれは全く気にならないし無視してます。決めるのはどこまでも「自分」なので。
たとえばファッションブランドとかありますが、その中のバッグにしてみてもただ「ブランドモノである」というだけのモノは私には無価値です。中に入れるのはこういうもの、持ち歩く場所はこういうところ、とかいう前提があると、中身が重ければバッグ自体は軽いほうがありがたいですし、そうするとナイロン製で軽くてたくさん入るものの方がニーズに合って非常に価値があるのです。
学校とか会社とかでもそうですよ。会社でもあんまりきっちりした昔の価値観しかないところ(女子の時間外雑用とか)は1年しか続かなかったです。あくまでも私には合わなくて居心地悪いことこの上なかったです。それでも多少なり我慢はしたんですけどね。
会社にしても学校にしても「それだけの場所」と割り切れればいいですが、我慢を強いられるようなところは自分には無価値です。たとえどんなに一流の会社でも学校でも。
犬や猫だって居心地がいい場所で寝てるもんね。彼らはそういう幸せを実感してると思う。
ここのサイト、しばしば私の考えていることと一致するテーマがありますね(^^;)
私は自分の感覚も結構信頼しているのだと思います。
イラストのラフも区切りまでやっと描けたけど、これ、無事に完成させるまで気力があるかどうか自信がないなあ。週に1枚ペースの創作のモチベーションはどこに行ったんでしょうか??(;_;) こんなに創作意欲が低下するとは想定外でした。哀しい(ノ_・、)