色鉛筆は身近な画材
デザイン会社に勤めていた時は手近な画材としてアイデアスケッチとかに水彩色鉛筆を持ち歩いていたんですが、結局うまく使いこなせたとはいいがたく、なんとなく色鉛筆から遠ざかっておりました。
ぼーっと「大人の塗り絵」の本のサンプルを眺めている。んー、でも私って子供の頃からあんまり塗り絵をやった記憶がないかも。最初からオリジナル志向だったような気がする。だから塗り絵を買ってもらった記憶もないかも。本当に好きなものを好きなようにしか描いていないなあ、と思う。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年7月16日
なので、好みのがあまりない。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2020年7月16日
あえて塗るとしたら奥田みきさんとかミュシャとかケイト・グリーナウェイくらいかも。好みの範囲がとても狭いわ(ーー;)難しい。
マンダラもいいけど、マンダラもむしろ描いてみたい方だしなあ。
色鉛筆は手持ちのものがいくらかあるので、ちょっと塗り絵でも、と考えてはみたんですが、以外に気にいるものがないんですよね。やはり私は描く人間なのかなあ、と。
あえて選ぶならこの辺かなあ??
昨日、作業療法士さんとの雑談でふと「絵を習うとか…」と呟いたら、「え?恭子さんが絵を習うんですか?なにを?」と聞かれてしまった。ですよね、具体的に習うんじゃなくて、多分そういう文化に触れたいだけだし…(-_-;)
去年の頑張りが凄かったから、焦って無理しなくてまだ休んでいてもいいですよ、とも言ってくださってるんですが…(^_^;)
昨日は新人さんの男性の作業療法士さんとふたりで来られたのでMacファンの話が弾んでしまった(^_^;) 「ホウ酸団子ってなんですか?」というのもウケたけど(^_^;) ゴキブリホイホイのほうが認知度高いのね〜。
お絵描き=瞑想と感じているのは私だけじゃなかった
絵を描くことが瞑想状態に近いというのはアナログの時代でもわりと気づいていましたが、はっきりわかったのは、やはりデジタルで描いていた2006年、父の在宅介護が始まってからのことでした。
うちの場合は母と2人の手があったので、自室に戻って絵を描くことが可能だったんですね。その時に相当集中していて、でも聴覚だけは、いつでも父の異変を感じ取れるようにアンテナを鋭くしていました。
その状況で一切の人工的な音は邪魔になって、ただ「描くことだけ」に集中するようになって、その作業が不思議と心を落ち着けてくれるのが明らかになりました。当時もだから「お写経効果」と呼んでいました。
私は絵は左手で描くクロスドミナンスなので、左手の作業は右脳と直結している感も強かったです。
まあ、当時も不安や心配や色々山のようにあったと思うけど、波立つ心を鎮めてくれたのがやっぱりお絵描きでしたね。無に近い心で集中し、没頭する作業ですから、とてもいい精神安定作業になりました。
何かと繋がっている感じもありますし。自然とかとても大きなものと。
今でもほとんど音楽などはBGMにしていません。流れていても耳に入らないというか、頭にも入らないからですね。この傾向はどんどん強くなって、音に対する神経も過敏になります。そのくせ自然音はよく聞こえるんです。鳥の鳴き声とか、風の音とか。人工的な音はお絵描きの時は邪魔、それだけ集中しているから、ほぼ瞑想状態ですね。
ちょっと検索してみると「絵を描くこと=瞑想状態になる」という人がわりといらしてなんだか嬉しい(^-^) 同志よ。右脳使いと集中がポイントらしいです。
普通の瞑想では寝てしまう私にはお絵描き瞑想がもっとも自然なのかもしれないなあ。これがあったから試練を乗り越えてこれたのかもね(^_^;) 振り返るとそう思います。
こういう形の瞑想があってもいいよね、というか、これは私にはもっとも適した瞑想らしいです。
他にも感じていた人たち
検索で見つけたサイト色々。
ゼンタングルは「禅」です。
どんな絵でも手法でも自分が描きたいと思ったものを描きたいように描く。そして無心になる、というのがもっとも大切で、それによって脳も心もリフレッシュされるみたいな、そんな感じではないかと思っております。
だから私には必要不可欠なものですね。精神のバランスを取るために薬よりも重要かもしれません(^_^;)
描けるって幸せだ〜(^_^;)