お金のことを考え続けると気が狂うと思う
ここしばらく、ずーっと住宅関係のことを考え続けていたら、ちょびっとおかしな状態になりました。あ、昨日ね。
私はどうもお金が嫌いらしい。嫌いなところへはお金もきてくれないけど、その嫌いなもののことをずっと考えていたら発狂しそうになった。買い物から帰宅直後、荷物を全部ぶちまけるはめに。
自分がどうなるか怖い。脳が酸欠のように感じる。パニック発作とは違う。でも気分的にはちょっとパニクってました。
もともと大きな金額の計算もいやなくらいに嫌いなんだけど、世の中にいるかぎり必要だからもう、相当に辛いと思う。この先まともにやっていけるのかな、私?涙が止まらない… (T-T) なんでこんななんだろう??と思いました。
このごろよく眠れてはいるんだけど。
正気でいるのが逆に辛いと感じることがある。
お金に罪はないのよ。
ただ、ちゃんと使われていない感じは自分も含めてなんかすごい違和感がありすぎてさ…。
ちょうど弟の訪問看護師さんがいらしたので話してみて、「考えるのはちょっと休みにして」今日、行けたら受診してこようかと思ってたんですが、行くのもしんどいし、今は落ち着いてるし様子見してます。
ひとりで考え続けるのはやっぱり視野狭窄になるんだろうな、と。脳も酸欠に。
多分昔から苦手で嫌い
…上記の記述は主に昨日のTweetなんですが、振り返ると高校生の頃に、卒業したら就職するつもりで、商業簿記とか勉強していて、資格を取ったりしていたけど、やっぱり病気になったから、それほど嫌だったかもしれないとか、そういうことまで思い出しました。
簿記ね、あと4点ほどで2級に落ちたのは覚えてるけど、再度受けませんでした。3級の内容も綺麗さっぱり忘れましたし。もしも銀行とかに勤めていたら確実に発狂していたと思います。
なんで苦手なのかわかりませんが、疑ってみたけど貧困妄想でもなさそうです。妄想じゃなくて、お金がないのは現実ですし (^_^;)→通帳の中身は把握している。
私のお金に対するイメージは「水」なんです。新鮮で綺麗な水がちゃんと世界を循環しているのが理想的な経済なのかな?と思っています。ひとつの場所に滞ると澱んで綺麗じゃなくなるから、流すのが大事、という感じかなあ。そういうのは断じて嫌いじゃないんですけどね。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) February 1, 2019
コップに綺麗なひとくちの水。
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) February 1, 2019
どうも知らないあいだに私は寄付をしていたみたいだ。全然覚えてないけど、領収書が届いたので、確かに寄付したんだろう。悪いことじゃないからいいけど (^_^;)
でもなんで全然覚えてないんだろう??ちょっと怖い。
やることはちゃんとやっていた。
最高のお薬はこういうもの
午後は横になる時間が長かったですが、誰かに電話をかけたい気分をなんとなくやり過ごして、夜になってから見たかった番組をオンデマンドで視聴。会員になっていたのを忘れていたけど、テレビがなくてもオンデマンドをパソコンで、というのもありだなあ、と思いつつ、1本だけ。
もう号泣 (T-T)ハビー、大好き。ありがとう!!
親友とか、友情の理想形を見た気がする。いやー、多分、バトンさんやプルさまやハビちゃんと私の表情がシンクロしていた気がするけど… (^_^;)
いまの私には最高の薬になる気がする。ありがとう。
お金では決して買えないものの美しさに癒されました。多分、私はこういうものを求める傾向が強いのだと思う。
ここに書かれている内容が凄く納得できてしまうあたり、やはりお金関係のことには疎いし、苦手なんだと思う。世渡り下手ですね (^_^;)
でも「美しいもの」というとお金には換えられないものばかりに視点が向いてしまうからどうしようもないです。理屈と感受性が別個に存在しているみたいです。