私、クリスチャンではないんですが、なんとなく「そやな」と
思ってしまいました (^_^;)
イエス様は産まれた日、馬小屋にいたんです。華やかなイルミネーションもあったかい食事もない馬小屋です。真っ暗で、ひもじくて、寒くて。
— 上馬キリスト教会 (@kamiumach) December 21, 2018
ですからクリスマスは「クリスマスを幸せに過ごせない人」のための日なんです。
いわゆる「クリぼっち」こそ、神様の祝福を余すことなく受ける人なんです。
今、寂しいと感じておられるかたへ
数年前の一時期、全く通りすがりのブログに「死にたい」というSOSを続けざまに
見つけたことがありました。一晩に5、6件とか、異常でしょ?
それだけ固まると私も無視できなくて。必死で考えました。
コメントが書ける場合にはコメントを。匿名ですが、地方がわかる場合には
警察に電話を。
でも警察はことが起きないと動いてくれませんでした。
仕方なく今度は地元の福祉関係の係に電話して「こういう方がいらっしゃるので、
もしもわかれば(記録などがあれば)気をつけてあげてほしい」とお願いしました。
相手は役所なので、なにが可能かはわかりませんが (ーー;)
何かやった、というにはあまりにもささやかなことですし、効果があったか
どうかなんて全然わかりませんでしたが、でも何かしないといられない
気持ちがさせたことでした。
その時に助かった人がいらしたら、と願っていますが。
余計なお世話だったかもしれません。
でもね。過去の自分がそうやって必死になったことがあるので、自分が死にたく
なった時には、もしかすると友人知人家族のみならず、見知らぬ人がどこかで
祈っていてくださるかもしれない、と思って、ちょっと考える余裕を
持つことが出来ています。
Twitterのフォロワーさんの中にも同じような経験をした人がいらして、
警察に電話したけど「住所氏名がわからないと無理です」と言われたそうです。
崖から落ちそうな人がいたら、思わず手を伸ばすというのが
人の心情じゃないかなあ、と今でもそれは思っています。
余計なお世話かなあ、と思うけど。でもやってしまう。
手を伸ばそうとしたその時の誰にも伝わっていないかもしれませんが。
でもやらずにはいられなかった。不思議ですね。
大きな事故や災害の時にも無事を祈りますよね。そういう気持ちと同じです。
直接に助けにいけないもどかしさはありますが。
私が祈っていたことをご本人たちはまずご存知ないです。それでいいと思っています。
でもそれは伝わらなくていいから、いつでもそういう祈る人がいてあなたの支えに
なりたいと願っていること、それだけは心のどこかにとどめておいて
いただきたいなあ、と思います。
どうかその人たちが今は少しは楽な気持ちでいてくださるように心から願っています。