みんなもっと怒っていい
ここ2、3日、Twitterを見ていると、主に介護関係の話が喧しい。きっかけがなんであれ、問題視されたりして、考えるきっかけになるのは望ましいと思う。
小室哲哉を晒し上げて引退に追い込むより彼を応援しながら介護問題を真摯に取り上げた方がメディアへの支持は高まるだろうし彼のためだけでなく今後の日本のためになるなんて分かり切っていることなのに、ただの話題として消費してしまうってことはもうメディア自身が「緩やかな自殺」を選んだんだね。
— マルキン (@ma_ru_kin) 2018年1月20日
小室さんの女性問題など全くどうでもいいが、介護の問題は深刻。どれだけたくさんの人が孤独な不安な毎日を送っている事だろう。国は助けてくれない。人はそんなに強くない。支えが必要。自己責任では幸せになれない。
— 紫野明日香 (@asunokaori) 2018年1月20日
でも、ほとんどの人は報道のあり方や姿勢に疑問を持って抗議したりしている人が圧倒的に多いんですね。
それで私は素朴な疑問を抱いてしまいました。報道の姿勢に疑問があって、そのやり方の是非を問うために、視聴者としてもストライキみたいなもの、要するにテレビの視聴をきっぱりやめるとか、週刊誌の購読をやめるとか、そういう行動に出る人がほとんどいないように思えることです。
みんなが一斉に視聴をやめれば視聴率にもなんらかの変化が出ると思いますし、「見ない=抗議の意思」だというのが少しでも伝わらないのかな?と思うんですが…。
まあ、気になるというのはわからなくもありませんが、でも情報自体は探せば別のメディアからより正確なものも見つけることが可能だし、それが出来る世の中だと思うんですよね。
でも、思い切って見るのをやめる、ということが出来ないのは、テレビにも依存性があるということじゃないかと思えるんですね。この依存に気がつくと、本当に身震いするくらいに嫌になるものです。
受け身でいい時代はとっくに過ぎ去ったの
そういえば昔私も「テレビはいらない」という記事を書いたなあ、と思って検索したら、2年前のことでした。
2015年の3月15日でした。
私の場合、身体に現れる諸症状が顕著にアレルギーを起こした感じで、徐々に離れていった感じがしますが、もう2、30年前から本当にコマーシャルは神経に触ってダメでした。
多分、もともとテレビとの相性は悪いです。テレビを見る暇があったら本を読んでたし。
まったく見なくなってから数年ですが、私の場合は単に時間の問題で見なくなっていたと思います。震災やなにかをきっかけに「これはあきらかに洗脳しようとしているな」という感じが強くなりましたし。
数年経って、テレビに娯楽を求める高齢者の人たちも本当に嫌気がさして見なくなってきている、と聞きます。新聞も読まなくなりつつある、と…。もう、とてもじゃないけど、信用なんか出来ない、と思う人も少なくないのでしょう。そういう時代だから…。
「この視点はひどい」とか「あんまりおかしいじゃないか」という意思を「見ない」ことで伝えられるんじゃないかと思います。抗議したい人たちが一斉に「見ない、聴かない、読まない」という行動を取れば結構効果がありそうに思えるんですが…。
うちも新聞の宅配をやめて数年、母の在宅介護をしていた時はコンビニで買って読まずにオムツ交換に利用してたんですが…(^_^;)
その時からも一層ひどく偏向しつつあるみたいだしなあ…。メディア全体がよほど姿勢を改めて生まれ変わらないときっともう新聞も取らないし、テレビも見ないと思う。
…そういう静かな抗議の姿勢でもあるんです。肝心のメディアは多分気づいてないと思うんだけど。お金を払ってまで得たい正確で公平な情報が存在しないということです。ここは大いに反省してもらわないと困りますね。
NHKとか、受信料を取ってるんだからその価値のある番組を作る義務と責任があると思う。
心の安定と大きな関係もある
こういう生活をしていても困ったことはありません。他の人とテレビの話なんかしませんし…。本当に私にとっては無用の存在になってしまいました。
多くの人のつぶやきを見ていると、もしも自分が番組を見ていたらもっと怒って、とても安穏とはしていられないと思いますし…。シャットダウンすることで精神の安定が保たれていることも大きいです。どのみちどうしても必要な情報は入ってくるし、専門的な意見は本から得るし…。
私は特別に小室哲哉ファンとかじゃないんですが、これだけ大きな介護に対する問題提起のきっかけを投じてくれたことには非常に感謝しております。小室さん、ありがとう。
誰もがいずれは当事者になります。しっかり考えておきたいですね。
育児と介護の大変さを同じ目線で図ろうとする人がいますが明らかに違います
— たけちゃん (@707n5ddASsBCddM) 2018年1月19日
育児の終わりは成長と言う喜びがあります。
介護の終わりは大抵が死を意味します。
終わりを願う事は死を願うことにつながるからです。
もっと介護する人に心優しい世界になりますように。#小室哲哉 #介護
当事者の一人として、複雑で真摯な思いを書き留めておきたいと思いました。
マジでもっと闘いたくなったらどうすんの?今はなるべく平穏に、ってセーブしてるのに(^_^;) はるうさぎさんは多くのフォロワーから1000年に一度現れる伝説の戦士だと思われているようです。https://t.co/jmzNMrcovy
— 藤本恭子/双極性2型障害と共生中 (@haruusagi_kyo) 2018年1月20日