予約投稿にしておいて、行けたら母のところに行ってこようかと思っている私です。
ようやく起きられるようになったものの、慢性的な頭痛はまだ抜けません。薬を飲むほどじゃないけど、ずっとうっとおしいです。
文通交流時代というのがありました
2、3日前から大人が長年ブログを書き続けることについての考察とかよく見かけるんですけど、別に誰が何をしようと、誰かに迷惑をかけたわけでもないのなら、ええやんか、ほっといてよ、というのが正直なところ。少なくとも私の場合は精神安定剤くらいには役に立ってるし…と思う。
で、改めて考えてみたけど、私の始まりは10代後半の「趣味嗜好が合う友達を学校以外で探した」というところが始まりじゃないかと思います。
当時はもちろんネットのない時代、そういう相手を見つけると言えば、文通欄、ですね。少女漫画雑誌の欄外に小さく載る文通欄に「ペンフレンド募集。イラスト&カットの交換をしませんか?」というのを載せてもらったんですね。
その小さな記事を見て、手紙をくれた人は50名近く。私自身もまだ療養中のことで比較的時間もありました。全部に丁寧なお返事を出して、もっとも話が合いそうな2、3名の方と文通を始めました。
そこから発展して、友達の輪が増えて、リアルでの交流も増えて(私はパニック障害で出掛けられなかったけど、他府県から遊びに来てくれた人が多かったのですね)ネットよりもリアルな交流は多かったです。
で、漫画サークルが出来て、会報、会誌が出来て、印刷事情が悪かったために肉筆回覧誌まで出来て、プロの漫画家デビューを果たした人も多かったですね。私はその頃を知っているから、プロになる人のことがわかるんだと思います。
創作も悩みも進路も希望も恋愛も仕事も多々あって、その交流は全国規模で長く続きました。
ネットの時代しか知らない人には意外かもしれませんが、文通がきっかけで結婚した人だって少なくなかったと思います。私ですらリアルでも相当充実していましたし…。
世界中に伝えられる近況報告
多分、何千通という手紙を書いたと思います。
ブログを書く時間が無駄とは感じないように、手紙を書く時間を無駄だと思ったこともありません。
それがですね、みんな成長して家庭を持つとか仕事を持つとかになると、どうしても間が開いて来てしまうのですね。私も自分が出すすべての手紙に同じ近況報告を書くのが辛くなってきます。
その頃にワープロ専用機が発売されました。1990年ごろかな?これはコピー&ペーストが可能だから便利でしたが、私自身が病気になって、介護をしなければならなくなって、手紙がかけなくなった時に、そうだ、ブログを書いていたら、全国&世界のどこへでもいつも私のことが伝えられるなあ、と思いました。
実際にブログを書いていたから新しい出逢いもあって、交流もあって、在宅介護にも自分の病気にも心が折れないでこられたと思っています。
ただ、なにかなあ…。普段の距離が近く感じる分、無理をしてリアルでおつきあいしなくても大丈夫、っていうのはあるよね。
文通みたいなもどかしさが少ないからかな?会いたくてなかなか会えないもどかしさ、ってネットでもあんまり感じない。ましてやネット経由で仕事とかしてしまうと余計にね。
この日々の記録を受け取ってくださる方々はいま現在の私のお友達で、離れた距離の航行する船がすれ違う時に、そっと合図を送るように「今日も元気ですか?」「今日も大丈夫ですね」とか、そういう気持ちを送りあえたらいいなあ、と思っています。
それが合わないと思う人は読まなくなると思いますが、それはそれでよしとして。「来るものも拒まず、去る者追わず、だもんね」と私に言われた生き方のようで、それでいいかな、と思っています。
ただひとつ確実なのは、お金になるとかならないとか名前が知られるとかそういうのではなくて、半端なところでストップしてしまった人にはなにかをいわせないものがあるよなあ、ということですね。
続く強さって結局そういうことなんだと思います。