つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

焦らず、嘆かず、諦めずにいたいと思う

 

身体的不自由を補うもの


昨日、補聴器の話が出たので、ちょっと気になって調べてみましたら、補聴器は性能によって、本当にピンからキリまであるようですが、高性能のものは眼鏡とは桁が違うくらい高価なんですね。一桁か二桁くらい違うかも… Σ(゚Д゚;)!

 

補聴器の価格

https://hochouki.senior-anshin.com/cont/price/

 

私が初めて眼鏡をかけたのは高校生の時でした。中学時代からぼちぼち視力は低下しつつあって、両目とも1.0以下でしたし、0.8とか0.6くらいになっていたような気がします。

 

その頃は頻繁に片頭痛が起きていて、前駆症状の閃輝暗点(せんきあんてん)が起きると、教科書も黒板もホワイトアウト状態になってしまうので、それもあって、視力低下の不便がいまいち実感されていなかった気がしますが… (ーー;)

 

でもいよいよ不便を感じて眼鏡を作ったのが高校生の時で、初めから近視と乱視が入ってました。それもあるのと、感覚過敏の自覚もあったので、コンタクトにする選択肢は頭にありませんでした。それ以降の長いおつき合いですね。

 

外すのは寝る時とお風呂に入る時と顔を洗う時だけ。いま現在のレンズはモニタと生活範囲に不自由のない、やや強めに調節してあるので、横になって読書する時ははずさないと合わないのです。

 

かつて父がそうやって外して本を読んでいたのがおかしかったですが、自分もそうなってしまった。ただし、膝の上くらいの距離で座って読む分には眼鏡をかけたままで大丈夫です。

 

視力と色覚が別なのはありがたいですが…。

 

 


死ぬまで成長可能かもしれないもの


なんというか、もう肉体的にはどんどん衰えてきますけど…。と嘆いていたらこんな記事にぶつかりました。

 

www.cafeglobe.com


● 50代で人の気持ちを察することができる

● 判断力のピークは60歳以降

● 語彙力は60代後半~70代前半が最も高い

 

…あー、でもこれってはっきり言って「年の功」というやつじゃないかなあ…。いわゆる「経験値が上がった」というか…。知識とかいろんなものを裏付けるだけの経験を積んだということじゃないかな、と…。褒められている気が全然しない (ーー;)

 

でもこの経験も単にぼーっと過ごしていたらあんまりレベルアップもしそうにないよねえ…。深みのある人間にならないとダメだよね、と示唆されている気がします。いや、どこにもそう書いてはないけど、私がそう読むだけかもね… (^_^;)

 

無駄に歳だけ重ねてしまった、と後悔しないように心がけないといけませんね。まあ、人間、生きている限り前向きに前進する運命かもしれません。

 

後退するよりもいいかあ…。心意気だけでも忘れずにいたいなあ…。諦めずに。

 

 

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