意思の疎通と介護と
昨日ミントさんのこの記事を読んで考えてしまいました。
介護というのはその人の人生の家族関係の総括みたいなものだと思っていますが、だからこそいろいろな反応は出てくるだろうな…と思いつつ…。
実は私にはまったく両親と「意志の疎通が不可能」という事態が想像出来なかったりします。仮に意識がない状態でも、なんらかの通じるものはあると思うので…。
父も脳梗塞で、脳の右半分が死んでいましたし、半側空間無視という状態で、おそらく左半身が「ある」という意識もなかったと思います。不思議ですが、それも脳梗塞の症状ですね。左目は見えていなかったかもしれません。
もちろん左半身は麻痺している状態で、腸なども半分は働きが悪く(もしくは働かない状態で)便通も自然には無理でしたので、訪問看護師さんが摘便の処置をしてくださるあいだ、よくお腹のマッサージを続けていました。食事や投薬は胃ろうでしたし、相当介護の手がかかったのは確かですが、大変は大変だけど(自分も双極性障害があるし)でも嫌だと思ったことは一度もなかったし、最後の最後まで意志の疎通と気持ちも通じていました。
家の中のことはなんでも普通に話していたし、それで、父も家長としての責任感とプライドを持ちつづけることが出来たんだと思います。病人なのに、わがままは言わず、家族のことを思いやる優しい人でした。
看取りを果たすこと
でも、元気な時から死ぬことが怖くて、よく丹波哲郎さんなどの本を読んでいたのを知っていたから、これは出来るだけ安心出来るように、穏やかに送るのが私の使命だな、と思いました。
だから最後の三日間はずっと手を握っていて、「大丈夫、大丈夫、リラックスね」と言いながら、でもああいう時って不思議で、これから逝く人のための言葉っていうのが自然と口から出てくるというか、あんまり私自身が喋っている感じがなかったので、誰かの気持ちが降りてくるみたいな…。ついでのことにイメージも降りてくるみたいな…。あれも瞑想に近い状態になっていたのかもしれません。
父はとても穏やか、かつ安らかに息を引き取りました。私の介護はそれだけで充分に報われました。
それで最期のひと息まで看取った時にも、まだその辺に父の存在を感じていました。父の気持ちも…。結構長くそれは感じていて、いまでもアンテナを向ければわかる気はするので、私の行動はあれでよかったんだと思っています。
その長い介護の期間を通じて、人間的にすごく成長もしたし、メンタルもとても強くなったなあ、と思っているし、私には父が最期の贈り物をくれた気がします。だから私にとっての介護の体験っていうのはとても大切なものなんですよね。
いつかは母とも
母の場合はいまは特養にお願いしていますけど、本当に最期が近づいたらしっかり泊まって付き添わせてください、とお願い済みです。自分になすべきことはわかっているので、それはしっかりと果たすつもりでいます。
このあいだ母に「そういうわけでな、工場の跡地にスーパーが出来たんよ。すごい助かるわ」と言ったら、「よかったなあ、はよ帰り」と言われました (^_^;) 母はいつでも家のことを案じてくれています。さすがに主婦だと思います。どこの場所にいようが、どういう状態でいようが、父は父で母は母なので、私も最期まで、いや、亡きあともそういうふうに扱っています。
どんなに無理に思えても私には意志の疎通が可能なんですよね…。
魂と寿命と
私の独自の考え方かもしれませんが、人の寿命は「この世でその人がなすべきこと」と密接な関係があると思っています。
どんなに危機的状況に陥っても、まだその人にお役目が残っていれば助かるようになっているし、逆にどんなに手を尽くしても亡くなる人は、もうこの世での仕事が完了したということじゃないかなあ、と…。
こういうことが呑み込めていると、どうして自殺はよくないか?とか、おのずとわかってくるんですけどね。
寝たきりで、意識がない病人でもその状態で、その姿で人に教えてくれていることがある。…そういうことも介護から親身に学びました。まさに魂の学びというか…。
この十数年、健康で普通に働けていたら、それはそれでよかったかもしれないけど、私はやはり自分が選んでしっかり果たしてきた経験から学んだことに大きな価値を置いています。
最期に全存在をかけて、それを教えてくれる両親に関しては私は感謝しかありません。
だからこそ、私も全霊で学び取りたいと願っています (^_^;)