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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

守りたいという気持ちで自分も守られているという不思議

 

半端なく疲れてしまう私の現実

 

昨日は半日ウロウロしただけで、半端なく疲労困憊してしまって、午後9時半には就寝。そのまましっかり9時間も寝てしまいました。まあ、大体こういうパターンで外出するとたとえ2、3時間でも疲れ方が半端じゃない、というのは大きいです (ーー;)

 

実際にあんまり体力がないだろうな、とも思いますが、やはりHSPの概念を理解すると、子供の頃の疲労感を思い出して不思議に納得することもあります。神社とか山とか、自然に近い場所は好きなんですが、まあ、観光地化されてるだけに人は多いですよね。昨日はそれでもまだましだったんだけど… (ーー;)

 

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水に癒されるというのはあちこちで聞くので、お風呂好きなことも理由があるのかもしれないですね。でも京都からだと海は遠いけど(琵琶湖の方が近いか)どっちにしたって泳げませんが、そういえば動物園よりも水族館の方が好きだなあ…。落ち着けるし…。

 

両親が元気で、弟も離婚していなくて、子供たちもいた頃は両親と3人で、とか母と二人で旅行もしたものですが、旅行のために休みをもらうなら、必ず一日余分にもらって、最後の日は前日に帰ってるけど、「休養のために何もしない日」を作らないと駄目だったなあ。たまたま三連休だったら、もう一日休みにして四連休が必要なのですね。それも歳のせいかな?と10年以上前に思ってたけど、やっぱり普通の人より疲れるのはどうしようもないようです。

 

だから正直、通勤するだけでも疲れるので、できる限り在宅での仕事の方が向いていると思います。通勤に消耗するエネルギーを仕事にとか、家事に回せるでしょう?思えば結構不自由ですが、それでないとおそらく続かないですね。

 

 

 

どんな時でも決定しないといけないことがある

 

そういえば、よく「うつ病の時には重大な決定をしないように」とか言われていますし、実際にそういう客観的な見方が出来ることが多いと思うのですが、そういうことを頭に置きつつも、自分のための決定じゃなくて、「家族の生命に関わる決定」をせざるをえなかったのが介護中でもある私の立場です。

 

自分が死んだら家族が生きていけない現実は当然ですが、去年、母が褥瘡の悪化で敗血症にでもなれば死亡のリスクが高まるとわかっていて、片足を切断するか否かに始まって、「それは生命には変えられないから切断も余儀なし」と思うけれども、それを本人に納得させるのがものすごい苦労でした。最終的には姪が声をかけてくれて母も決意したのですが…。

 

なんだかわからないけど、気がついたら家族の生命と将来もろとも自分が抱えちゃってるみたいなんで、泣き言すら言えないなあ、という現実があります。自分のことだけ考えていればいいのなら、まだ気は楽ですが、守るべき家族がある患者さんは多かれ少なかれそういう責任とは無関係ではいられないと思ってらっしゃると思います。

 

「守りたくて支えられてる」感じかな?

 

しんどいんですが、でもここにくると「自分の生命は自分だけのものではない」ということが否応なしに思い知らされるので、嫌でも強くなれるのかもしれません (^_^;)

 

 

 


介護のSNSで「父の介護記録本を出したいんです」と言ったら、多くの方にエールをいただいてしまいました。

 

みなさん、同じような苦労をされていて、本当に大変なんだけど、「支えることで支えられる立場」もご存知なんだなあ、と実感しました。頑張りましょうね、みなさん (^_^;)

 

 

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