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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「表現したい」という要求は魂から発するもの

 

この方の記事を興味深く読ませていただきました。

 

menhera.jp

 

また随分思い切った行動に出られたな、と思いますが、でもやってみたおかげで「こうじゃない」と早く気付けて軌道修正が出来たのはよかったなあ、と思いました。

 

アウトサイダーアート」と持てはやされる風潮がなきにしもあらずですが、でも私の作品なんかこういうところではまったく目にもかけられない、という現実があります。(一度ならず問い合わせたことがありましたので)あの世界も実に狭くて怪しいですよね(ーー;)

 

 

 

かつては専門の勉強をしたいと思ったこともある

 

で、私は生まれて物心ついてから、ずーっと絵を描き続けています。年齢マイナス1、2年くらいのキャリアと言ってもいいかな?とは思いますが、自分が「芸術家になりたい」と思ったことは一度もありません。

 

高校進学の時にちょっとそちらの専門をやろうかと考えたことがありますが、当時のうちの経済状況を考えて、公立高校ひとつだけ受けて、それで落ちたら、滑り止めにしても私立に通うのはきついな、と思ったので、競争率の高い公立の美術科の受験を諦めたのでした。(で、他は公立1本で無事に合格しましたが)美術の方に進むのはお金がかかる、ということは中学生でも十分にわかっていました。

 

もしも行けたらデザインか図案がやりたいな、と思っていたので、当時からやはり軸はぶれてないですね。手描き友禅とか、そういう古典的な伝統的な仕事をやりたかったというのもその当時からの夢でした。

 

まあ、専門の勉強を諦めて、あとは独学しかないのもわかっていたし、高校で病気になったからますます美術大学とかにも縁がなくなりましたし…。どのみち経済的にも無理だったでしょう。これも一種の挫折。

 

 

でも挫折くらいでめげない

 

絵はね〜。ご覧の通りにリアルな絵柄ではなかったし、もしも、ですが、仕事にするとしてもイラストしかないな、とも思っていました。だから漫画の方にいっちゃって、良き仲間たちにも出会ったから、好きなものを好きなように描いて反応やファンレターのようなものをいただけるのが非常に嬉しくて、自分の本分はやっぱりここにあるんだな、と思いつつ…。

 

でも仕事は医院の医療事務やデザイン会社(ここは畑違いじゃないですが)や表装会社に勤めたりしていましたが、まあ、そちらはお金儲けの手段で、いわば「適職」だと思っていました。絵を描くのは、もっと根源的な表現欲求から来ているので、やめたいとかやめようとか思ったことは数十年のあいだに一度もないです。

 

こちらは「天職」なんですね。「魂の仕事」だから、収入になるとかならないとかはどうでもいいんです、ものすごく。

 

これがあるから、誤作動を起こす脳がバランスを取ってくれる。死にたくなっても引き止めてくれる。自分の生命にぴたりと寄り添ったものなのですね。

 

 

 

「表現したい気持ち」は止められない

 

絵であれ、文学であれ、音楽であれ、分野はなんでも「表現すること」が人生に必要不可欠で、精神安定に不可欠で、脳のバランスを取るのに必要だと思う人は、できれば生涯それを続けて欲しいですし、続けずにはいられないと思いますが、あまり「収入を得るための手段」としては選ばない方がいいと思います。

 

今の世の中、いつどういうことで職を失わないとも限りません。仮に職を失っても、一番大切なものが残っていれば、それが支えてくれます。そのうえでどうしてもその「表現欲求」と心中してもいい覚悟があれば、その道を選ぶのもひとつの方法かもしれません。

 

私は自分が芸術家だとは思わないけど、芸術の真髄だけはそうやってわきまえていると思います。

 

どうしても最後まで捨てられないもの、心中しても悔いがないもの。それが魂が示す「天職」だと思います。

 

時にはなによりも強力に効果がある精神疾患の薬にもなってくれたりするし、逆に破滅に導かれることもあります。そういうものだというのは古今東西の芸術家の先例を見てもわりあい外れない事実だと思います。

 

 

 

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