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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「鈍感な世界に生きる 敏感な人たち」という本に感じたこと

 

今日はご飯が作れません

 

このところ、節約のために頑張って自炊していたのですが、昨夜は本当に目が覚めない状態になりまして(意識は半覚醒しているのに、目が開かないし、身体も動かす気力がない。寝息が続いているけど、脳は半分くらい起きてる不思議な状態。金縛りとはたぶん違います)このまま落ちていった方が楽〜と思って、すぐにまた深い眠りに入ったんですが、朝になっても起きられない、しんどくて。

 

なので、今日はご飯も諦めました。お弁当にするしかないかな、と思います。でも1週間ぶりくらいだし、割と頑張って続いたと思うな。こうやって限界はきますけど。

 

 

ちなみに仕事の方はまだ途中です。昨日の夕方に第二案を送ったので、その後のなりゆきでどうなるか??スカイプでのやりとりでもかまわないと言われましたが、そもそもMacユーザーはスカイプって使えたっけ?使えるにしても顔を合わせて話するのは嫌だからメールで十分です。

 

直接お会いして話すのはまた違うんですけどね。家族とビデオチャットみたいな感じならいいけど、知らない人と話すのは嫌だ。どうせなら直接お会いして話す方が気楽だと思います。こういう微妙なところもHighly Sensitive Person(HSP) だというのと無関係ではなさそうだなあ、と感じています。

 

 

 

「鈍感な世界に生きる 敏感な人たち」

 

で、その Highly Sensitive Person(HSP) ですが、その関係のこんな本を読みました。 

鈍感な世界に生きる 敏感な人たち

鈍感な世界に生きる 敏感な人たち

 

 

大きな活字の200Pちょっとの本なのに、読むのに3日もかかってしまった。(平常なら2時間もかからない内容)いまはそれが活字を読むのに目一杯のペースなのかもしれません。内容によっては全部上滑りしちゃって頭に入ってこないこともままあるかと思います。

 

で、この本の内容は Highly Sensitive Person(HSP) の人間はいかに落ち込まずに、自分を卑下することなく、摩擦も少なく世の中とうまく付き合っていくか、というようなことが書かれているのですが、私個人にはあまり目新しい内容ではなかったですね。

 

つまり  Highly Sensitive Person(HSP) などという言葉で定義づけされる以前から、私が私なりに生きやすく感じられるようになりたくて、考えて実行していたこととほとんど同じだったからです。「そんなことはとっくに知っている、とっくにやってる」という感じ。

 

パニック障害についてもそうですね。不安神経症という病名かしかなかった時代からパニック障害に付き合ってきて、自分なりの対処法をとっくに見つけている私としては「すごい、いまさら」という気がしてしまう。

 

 

 

読書に対する既視感のようなもの

 

このごろ本に対してはこういうふうな感じ方をすることがやたらと多いです。ほとんど読みませんが自己啓発系の本は「そんなこととっくに知ってる」ことばかりしか書いてないです(ーー;) そういう内容を実行しないのはすでに自分向きじゃないことを知ってるから…。

 

それじゃあ、歳を取って、たくさんの本を読んでなにもかも知っていることばかりになるかというと決してそうではなく、どういうことにも「さらなる高み」が存在するから、そこへの好奇心もありますし、まだ機会がなくて未知の分野であることもたくさんありますし、そういうことも知りたい気持ちはありますし…。

 

「高める、深める、広げる」楽しみはたくさんあるのですね(^^) 知ることの楽しみと、得た知識を自分なりにいかに活かすか?というやり甲斐は生涯続くと思っています。

 

自分がすでに解決してきたことをあとから誰かが証明してくれるというのもなあ…。まあ、ありかもしれませんが、新鮮な発見と感動には及ばないからちょっと物足りない…(ーー;) 贅沢だとは思います。

 

 

でもね、痛感しますが、「人生の悩みのほとんどは先人の知恵をヒントにすれば、解決策が早く見つかる。だから読書から得られるものは大事なんだ」というのが自分の体験です。これは実感なので、悩む前から本を読むのはとっても有意義だと思います(^^)

 

 

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