ーーこの下書きは昨夜書きました。読み返すとかなりハイになっていますが、非常に調子が悪い今朝とは段差がありますが、これも日内変動のうちかなあ、と思って、予約投稿みたいな感じで載せますね。朝は心身ともにきついです。単極性うつ病の人と同じような感じかも…ーーー
これ、前にも載せたことあると思うんですが、1993年発行の個人誌(イラスト&エッセイ集)から、生原稿をスキャンしました。この本がアナログでは最後の本になったかな…。
一昨日の漫画のキャラたちがちょっと成長した姿と、もっと成長した姿で描いています。
このキャラクターたちとは自分が中学2年生くらいからのおつきあいだったりします。10代の頃は絵柄が子供っぽくて満足に描けずにいましたが、やっとイメージに追いついたのが20代以降…。
それでもいまだに描いてますね… (^_^;) すでに年金のことを考えなくてはいけない歳になってるのに。
気力、体力がついていかないので、もう漫画の形には出来ませんが、すでに私の中ではイマジナリー・フレンドとして生きているので、その気になれば私が呼ばなくても勝手に出てきてくれるみたいになっています。
漫画は無理でも、1枚絵とか、サイトの中では絵物語(小説ほど書き込んでいないし、絵もたくさんあるから、やはり「絵物語」としか呼べないかも…)として形になったりしています。
恥ずかしいから直接リンクは張りません。気になる方はお暇な時に探してくだされば、と思います。
サイト自体はこちらです (^_^;)↓
ブログといい、創作といい、サイトといい、どうやら私はしっくりしないものは1日経たずに飽きるけど、気に入って大好きになったものは、何十年でも飽きずに付き合える人間のようです (^_^;) これ、昨日再確認しました (^_^;)
自分でもよく飽きないなあ、と思うけど、単に「継続」「習慣」というよりももっと身近な「何か」になっている気はします。いずれにしてもお金にはなりません。
昔からこのキャラクターたち以外の話は描きたくなかったから、漫画家になろうとも思いませんでしたし。他のことにしてもそうだなあ…。
お金の手段にしたら最後、大切なものがあっというまに壊れてしまいそうで…。それって私自身が壊れそうな気がするんですよね。
「お金」に対してマイナスイメージがあるわけではないんですね。むしろお金は純粋なエネルギーだと思っていますから、平等公平な形で循環されれば一番理想的なエネルギーの使い方が出来ると思っているし…。
それなのに、私自身がどうも執着が薄くて、お金儲けとかに面白さやロマンを感じないから困ったもんですね。あっても邪魔にならないけど、でもそんなにたくさん必要じゃない、とか考えているから、案の定回ってこないみたいですね~ (^_^;)
でもそれもきっと描けない(書けない)とか読めないとかよりは困らないことのようだと思います。
他の項目はともかく、創作なんて、「妄想100%」ですもんね~ (^_^) これほどモチベーションが上がる事ってないですよ~。最高に幸せな時間かもしれません。
このごろになって、軽躁になると、短編になりそうな話やキャラがぽこぽこ浮かんでくるんですが、もういまさらなにかの形にするのも、無理かなあ、と思っていますが。
でもたとえ形にならずとも妄想とか空想とか果てしなく楽しいです。いろいろな不幸なことがあっても不運でも全部相殺されてしまうくらいに。
現在も独身の私ですが、幼稚園の頃に「自分は多分結婚しない」と悟ってからはより創作に生きるようになりましたが、一人でも寂しくないし、幸福になれるし、この選択は間違いじゃなかったなあ、と思っております (^_^;)
大事なものをお金に換えないことの幸せってあるんだなあ、と痛感する次第です (^_^;) どうも私はそういうタイプの人間のようですね。
うちの親は訊かなくても明確にわかってるなあ。
いつも一番の私の本の読者でいてくれた母、さりげなく協力してくれた父。「娘が幼児の頃からずーっと続けていること」ということほど、強い説得力を持つものはないみたいですね (^_^;)
結果的にお金にならなくても両親を「協力」という形で巻き込んでるし (^_^;) 私が独身でも二人とも心配もしていません。生涯ひとりでも遊んでいることとイマジナリー・フレンドが存在するからですね… (^_^;)
死ぬ前に後悔しないための生き方!情熱的に自己実現を果たす方法 - ビジョナリーマインド
自己実現=必ずしも社会的成功ではない、という意識も大切かもしれません。別に成功しなくても、一人で亡くなっても「自分を全うした」人は幸せな思いで亡くなっていくでしょうし、結局、それってやっぱり自分の中にしかないんですよね。
「生涯貫けば本物になること」…父も天国から応援してくれている気がします。