近畿以外の他府県の人に「出身はどこですか?」と聞かれて「京都です」と答えると、あまりそれ以上突っ込まれることはないと思うけど、実はその「京都」の中には「京都府」も「京都市」も含まれているので、相当広い範囲になります。京都府だと海もありますしね。(これは他府県の人は知らないかもしれませんが)
しかしながら、同じ「京都」と言ってももっと厳密に区別をつけたがる京都人の存在があるらしいです…。
「らしいです」というのは私個人はそういうことにこだわる人に今まで出会ったことがなくて、それって都市伝説なんじゃないの?と思っていたくらいですから…。
でもこういう脳内地図が出来て、なんとなく納得してしまいそうになるあたりを見ると、まんざら都市伝説でもなくて、いまだにこだわっている人がいるってことだろうな、と思います。
こんな本もあるしね。読んでないけど。
私が今住んでいるのは伏見区ですが、伏見は一時期「伏見市」だったこともあります。
わずか700日で京都市に統合されたとあります。ちょうど父が生まれた頃だな。短いな (ーー;)
私が生まれたのは上京区です。ばっちり「洛中」と呼ばれる場所です。父の家がここにあって、祖父母が暮らしていたので、母が伏見から嫁いで来ました。
母の実家は伏見ですが、何代か前にはもっと洛中、大和大路にあったと聞いています。いずれにしても脳内地図を描く人の意識の中にはどうも「秀吉の時代のお土居の中」みたいな感覚が存在しているらしいです。なんだろうな?数百年単位の地元意識みたいなもの??
8歳の時に伏見に引っ越すまでは、官庁街と御苑に挟まれた場所で育ちましたが、その頃もあんまり歴史的家柄にこだわる人はいなかったような…?
ただ、このあたりに住んでいる人はきちんとした服装の人が多かったので(官庁街のせいか?)母や祖母はほとんど着物で過ごしていた記憶があります。まあ、その意味では「女性がズボンをはくなんて…」という土地柄があったから、伏見の方がうんとくだけた気楽さはあったようです。(母の話)まあ、もともと母が生まれ育った場所だしね。
京都駅で市電を乗り継いで、母の実家に来るのも楽しみでした。御苑の中の木や顕彰碑に昇るのも楽しかったけどさ (^_^;) 銀杏の大木が生えている根元が小山になっていて、そこから転げ落ちるのも、お稲荷さんのお山するのも同様に楽しかったですし… (^_^)
京都人の私には東京は人が多すぎて暮らすには向かない、という感覚ですね。便利だし、催しものは多くて、イベントも文化的なことも多くて、そこは羨ましいのですが、いかんせん、人が多すぎて自分には向かないなあ…とだけは感じています。
あんまり他府県に行きたいと思わない(短期の旅行は別ですが)のは夏は暑くて冬は寒いけど、やっぱり身近に山が見えて落ち着く京都が好きだからかなあ、と思います (^_^;)
どこへ行こうが誰と会おうが私は私、でいつでもストレートな会話の球しか投げられませんし、それで誰になにを言われようが知ったこっちゃありません。だから余計に言われないのかもしれないですね… (^_^;)
はー…。でも「絵に描いたような京都人」というような方がいらしたら、一度お会いしてみたいような気はします。そういう方が存在しなければ、やっぱり都市伝説みたいになってしまうのかな??…それはそれでちょっと寂しいかもしれないですね… (^_^;)