予約投稿しておいて寝ます。
昨日、なんとなく詳しい相手かな?(歳が歳だし)と思って、母の友人のTさんに電話して、近況報告と共にお墓の話もしました。
「(お寺の)借りてる土地に家(墓石)を建ててるのと同じことやもんなー」と言われて、なるほど、と思ったりして…。なんか不動産と近いものがあるかもしれない。「いわば『負の遺産』」なるほど。…とはいえ、うちって負じゃない遺産ってこの家と土地くらいのものかなあ…。
双極性障害の遺伝子はプラスかマイナスか、微妙に判断がしづらいものがありますし…。それでも私はすでに10代の時にはほぼ本能的に「自分の遺伝子は残したくない」と思っていたので、すでに幼児の時に「結婚はしない」と思っていたのと相まって、家族の中ではこういうふうなもろもろの後始末をする役割になるわけですね…。あーあ。シングルが気楽だ、とはとても言えないなあ。
こういう私の状況と努力を認めてください、と、ご先祖に話しかけている昨日でありました。こういうのって本来は当主の仕事だと思うな。父などは伯父が早くに死んでて、自分は一人息子のようなものだという自覚を早くから持っていたみたいで、それでやっぱりかなりの努力家でもありましたし、頼りになる人でした。身体は丈夫な方ではなかったけれど…。
で、Tさんも「正直に現状を話して相談してきなさい」とのことで、もちろんそうするつもりではおります。墓じまい、という作業、半端じゃなく増えてるみたいですね。終活の一部としても欠かせない課題ではあるでしょうし…。普通のお宅なら、それを実行する資金の余裕があるうちになんとかされるのかもしれませんね。これから先に、こういうことはますます増えるだろうと思います。
「墓じまい」というのも、お墓を建てる人が少なくなって、仕事として成立させるのに困った石材店や葬儀関係の会社が始めたものだとも知りました。お墓って建てるのも大変だし、片付けるのも大変だ。連絡不可能になってしまえば、仕方なく無縁仏になるしかないみたいですが…。
「家」とか「血筋」とかってなんなだろうね、としみじみ思います。人生なんて、生まれてもすぐに消える、やっぱり泡沫だよなあ。それでも生きないと駄目だっていうのなら、生きている人間のために宗教は手を貸して欲しいと思います。ケアなんだよね、やっぱり。
そういえば寂庵に行こうかな、と以前思ったことはありますね。行かなかったけどね。出家しようかと考えたこともあります。仏教徒かどうかもわからないのに…。で、しなかった。心のケアとかカウンセリングとかなら在家でも出来るじゃないかと気がついたし。気がついてからの方が断然大変ですが。いや、修業も半端じゃない気はします (^_^;)
最低でも週に一度は母の顔を見に行っている私ですが、このごろ、顔を見たら、ついつい「しんどい」という言葉が出てしまいます。あろうことか、それだけでは足りなくて、ベッド柵にもたれて寝たり、母が車椅子に座っている時は、ベッドに横になったりしてしまいます。元気でいないといけないと思いつつ、力が出なくなるのは困ったものです。
4年近く寝たきりで、それでも父は「しんどい」とは一度も言わなかったし、母もそんどいのに「しんどい」とは言いません。私ばかり言ってるから申し訳ないけど、親のところか、ブログとか介護のSNSくらいでしか言えないし…。あんまり役に立てなくて、親にもご先祖にも申し訳ないです。どうでもいいと言いつつも申し訳なさとか辛さとか、そういうものはあるんです。でも、もうこれ以上私は動けないんだもん…( ; ; )
休めって言われても、こういう感じの物事が次々にあると、休む気分になれませんしね…。
そういえば、簡易保険の通知が来ました。母の終身保険ですが、満額200万のところ、そこから半分近く借りていたら、自分のお金なのに、毎年5〜6万の利子(だけ)が必要で、母が倒れてから、それが払えなくなったから、清算してもらったら、仮に死亡しても30数万円しか出ないことになりました。
だから夏に20日入院しても8000円ちょっと、手術して片足無くしても20000円ちょっと…。診断書代差し引いたら15000円だ…(>_<) もうこれは母に黙っていようかなあ…。なんだか涙しか出てこないし…。
11年前に乳がんの手術をした時は40倍だったらしく、わりと金額になったそうですが、今回は20倍らしいし、元金が減った分、わずかになってしまった次第ですね。なんだかなあ…。
父が国債でもらっていた伯父の弔慰金も今年でなくなりました。いろいろとそういう区切りの時期かもしれません。どのみち、私と弟がいなくなったらこの家はおしまいです。姪は嫁に行ったし、甥は姓を継いでるけど、なにしろ遠くだし、墓参りだのなんだのでお金と時間を使うよりも、一人でも多くの人を助けて欲しいと思いますし。
もろもろ最後を引き受けて、もう終わりにしたいです。甥や姪に負の遺産は残さない覚悟。これはもう、個人というよりも「家」の終活になるのかもしれません。