お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

精神科の訪問看護をお願いしました

昨日夕方、精神科の訪問看護師さんと一応契約をして、毎週1度私のところにも来ていただくことになりました。

 

私の場合、バイタルは血圧は問題なく、熱はいつもの季節の変わり目の微熱はありますが、まあ、これはいつもどおりですね。あんまり成人病っぽいところってないんですよね。

 

でもいままでのように足のむくみがひどいので、来週からは足のマッサージなどもしてくださるようです。ありがたいです (^_^;)

 

蜂窩織炎以降、左足の太さは完全に元通りにはなっていないですね。むくみは両足にあるので、長距離歩けないのはもしかしたらこれのせいかもしれません。私が勝手に思うんですが。利尿剤飲んでも駄目なんで、半ばお手上げ状態です (ーー;)

 

 

 

これまでの10年くらい、大ざっぱにかいつまんで話したら、「これからはご自分のやりたいことをもっとやりましょう」と言われました。…まあ、今までも結構やりたいことやってる気はしますけど… (^_^;) イラストの製作枚数が減っているのは事実なので、その分他のところに手を取られているのか、気力がないのか、自分でもよくわかりました。

 

遠い、というか長期的な目標としては在宅である程度安定した収入が見込める仕事ですね。もう、ホントにご飯の支度とかはどうでもいいです。仕事したいです。

 

 

でもですね…。まあ、世間から見たら「よく倒れずにすんでる」と言われるから、やっぱり苦労が多い期間だったのかもなあ、とは自分でも思うんですが、そのわりにひどくめげないのが私のしぶとさかもしれません (^_^;) そもそも「悲劇のヒロイン願望」なんか持っていませんし。必要な時にヘルプやサポートをいただけるのはありがたいですが、特別に同情は必要ないですし…。

 

このごろ思うのは、誰もが「大きさも重さも内容も形も違う荷物を持って、目的値まで歩いてる」ということは同じだと思うんですよね。大きさや軽さに違いはあっても多分持たない人っていないと思う。宿命のような人生の課題のような、生きてるうちに学ぶべきことっていうのかな。そういうものだと感じています。

 

だからその荷物を他の誰かと取り換えるとか、替わってもらうとかいうのは不可能ですよね。やっぱり最後まで自分が持たないといけないと思います。でも道の途中で知りあった人と道連れになって、いろいろ話をしているうちに、その荷物の重さが気にならなくなってくることもありますし…。ちょうどお稲荷さんの「おもかる石」みたいにね、感じる重さが違ってくることはありますよね。

 

そういう人の力っていうのがあるから、人生は面白いです (^_^)

 

 

 

私もすっかりおばちゃんになったおかげか(?)初めての人でも打ち解けて話せるので、訪問看護師さんともかなり息抜きが出来るようになりそうな予感です。
まあ、いままでも母のケアマネさんや訪問看護師さんと話していたから、気分的には同じかなあ、と思いました。雰囲気が同じなんですよね。その看護師さんもご両親の介護をされているそうですし…。

 

でも病気関係のことやもろもろ、制度とか仕事とか、そういうことも相談出来そうなのが嬉しいですo(^-^)o

 

 

 

「介護してます」「介護してました」「病気です」「病気してました」というような一見マイナスの体験って、実は人と人の間の距離を一気に縮める効果がありますね。

いわくいいがたい体験と苦労を共有することが深い理解と信頼になるのでしょうか。経験したことがない人とは明らかに違う関係があるんですよね。

 

順調な人生の時の友人よりも、深く長いおつきあいというか、友人になりえるものだと痛感します。

 

ホントに逆境も苦労も人を結びつけるんですね。思いがけない深さと強さで。

この時に得たご縁は大切にしたいです (^_^;)

 

 

f:id:haruusagi_kyo:20151010084414j:plain

 

Copyright (C) 2001-2018,Haruusagi All rights reserved.