昨日、一昨日と、自分の作品で2種類の色相環を作る作業をしていて、それはもう、本当に楽しくて、なおかつでき上がったものを見るとものすごい幸福感に包まれた体験までしてしまって、これはなんだろうな?と改めて不思議に思いました。
不思議に思ったことは突き詰めたい気になるのが私。調べながら考えてみました。
昔からそうなんですが、振り返ると4、5歳の時にはすでに「綺麗な色がたくさん並んでいる状態」を見るのが大好きでした。だからクレヨンなども全色ほとんど満遍なく使って、とてもカラフルなお姫さまのティアードスカートなどを描いていた記憶があります。
確実にその頃の延長に今がありますね。
いまも基本的に「嫌いな色」は存在しません。ただ、その時の精神状態によって、「ちょっと今は駄目」と感じる色はあります。ショッキングピンクとか。でもこれは音楽などでも存在するので、刺激が強いものが駄目な時期があるみたい。わかりやすいといえばわかりやすいですね。
あと、私は用途によって「好きな色」が違うので、ただひとつの「好きな色」を決めるのも難しいのです。
洋服として着るのなら基本はモノトーン、紺、や茶色などの着回しがしやすい色がメインになります。そこへ組み合わせるのに好きなのがワインレッドやレンガ、モスグリーンやカーキなどでしょうか。
小物として持ちたい色はダントツに紫。紫は絵に使うのも好きです。
インテリアは白とナチュラルが基本で、それに合わせた明るめのアイボリーやクリームイエロー、落ち着いたグリーン系統がメインになります。父の病室には黄色も使っていました。
目的によって選ぶ色が自然と違ってくるので、ただひとつ好きな色を選べ、と言われてもひどく難しいです。
昨日見つけた興味深い記事「私らしくI'm OK」は色彩心理カウンセラーさんへのインタビュー記事です。
木村 人間って1000万色もの色を識別できるんです。でもそれができる人とできない人がいる。それは子どものころに多色を見ているかどうかです。大脳生理学といって脳の研究につながっています。たとえば、若いころから多色を見てきた人は痴呆症になりにくいというデータもあります。
面白いなあ。子供の時の環境かあ…。
私の場合はこれは絵本だな。どこへ行くにも話さなかった絵本。実に多くの色に触れていましたが、絵本からのちに活字と漫画に自然に分岐して行って現在に至っております。
今も多色を見るのは好きですが、ただ、デパートの化粧品売り場みたいに光や香りがプラスされると刺激が強すぎて駄目なんですね。頭痛がしてくるし。あそこは長居したくない場所です。(もとよりノーメイクの私には用はないですが)
色鉛筆やらパステルやら、絵の具やら、Photoshopのスウォッチやら、そういうものがずらーっと並んでいるのを見ると、なんとも贅沢で幸せな気分になります。色見本でもいいなあ。高価じゃないハンカチとか、半襟とか、そういうものも大好き。同系色のグラデーションも大好きですが。
微妙な陰影が欲しいから私の作品には単色をべったりと塗っただけの箇所が存在しないんですよね。原色もほぼありません。
色彩心理学で見ると単色で心理状態を表す見方はいろいろと確立されているようです。が、私みたいに「多くのさまざまな色がたくさん集まって並んでいる(グラデーションを作りながら)」という場合のことを解明した解釈ってないんだよね。
だから自分で考えてみる。特定の色が主張しすぎず、綺麗なグラデーションを作る、というのは歩み寄りみたいな感じかな?拒絶ぜず、いくらか受け入れて…。これはまさしく「調和」とか「平和」みたいなもんじゃないのかなあ?虹色みたいにもっと豊かな「多様性の尊重」でもあるし。要するに「みんな違って、みんないい」ということをそのまま表現するとああいうグラデーションとか色相環みたいになるのかもしれませんね。
で、どうやらそれに幸せを感じる私はそういうものを理想として幸福を求めているのかもしれないと思いました。ものすごい理想かもしれませんけれども… (^_^;)
ところで、上のインタビューにある「若いころから多色を見てきた人は痴呆症になりにくい」というのは本当かなあ?本当なら嬉しいなあ、と思いますね (^_^;)