このセリフはですね、男性や今の若い人には馴染が薄いかもしれませんが、24年組に加えてもいいかな、と個人的には思っている、少女漫画家の木原敏江さんの作品に出てきます。
旧制高校を舞台にした青春ドラマというか、そこは少女漫画チックなアレンジがなされた世界ですが、タイトルは「摩利と新吾」ですね。
この作品の中で親友への思い掛けない恋情に悩む摩利くんに向かって、ある老婦人が言うのですね。「どんなに馬鹿なことでも最後まで貫けば本物になるのですよ」と。
実はこの老婦人、かつては別の作品「天まで上がれ」の中に新撰組の土方歳三の恋人として登場します。凛とした姫君です。恋人に先立たれ、ひとり余生を過ごす彼女の中で、こういう思いが支えになっていたのでしょうか。
初めてこの作品を読んだ時は私も二十歳前後でした。でもこのセリフにいたく感銘を受けて、以降、私を支え、励ましてくれる言葉になりました。もちろんいまでもです。
「なにかを貫く…」
思えば私はあまり明確な夢を持った記憶がありません。
子供の頃に「大きくなったらなにになるの?」と聞かれてもおそらく答えられなかたっと思います。「お嫁さん」は論外ですし (^_^;)
夢ではないけれど、ただ、絵だけはずっと描き続けていきたいと思っていました。なにしろ「描かないと死んじゃう」人間ですから…。おそらくそれが人生の最大の目的だと思います。そのことで他の人を幸せに出来るといいなあ、と思っていました。
だからつい最近まで「絵を描いてお金をいただくこと」に罪悪感のようなものを感じていたんですが、自分の人生の残り時間を考えると、他の人のためにもお金があった方がいいし、自分が一番自然に出来ることでそれを得られるのならいいんじゃないか、と思い直したんですよね。
なによりも生涯ちゃんと絵を描いていくためにはネットとPCとペンタブとスキャナーは必要不可欠。ソフトも。それらはある意味消耗品だから、維持するのにもやはり費用がかかります。少なくともそのためにはやっぱり頑張らないといけないんですよね〜。
せっかくここまで来たんだし、本当に死ぬまで描き続けたいと思っています。どういう「本物」になるのかはわかりませんが、多分、それが私の生き方なんじゃないかなあ、と思います。
で、昨日、1年半開かずのクローゼットだった収納から、私の昔の同人誌を発見しました。母がまず購入してくれていた分ですね。親に見られてヤバイものは描いていなかった、ということです (^_^;)
右が1981年発行。A4サイズ、モノクロのイラスト集。
左が1993年発行。A5サイズ、表紙3色刷りオフセット、イラスト&エッセイ集。
中身も原点はほとんど変わりません。何年、何十年経っても、私は私、という確認が出来てしまいます (^_^;)
1993年でも、まだ個人的には一行表示のワープロしか持っていない時代です。もちろん原稿はすべて手描きのアナログ原稿。いまはもうこんなに自在につけペンは使えません。眼も悪くなってるし。だから拡大可能なモニタと手が震えても大丈夫なIllstratorが必要になる次第。
それでも描きたい。描くことを貫いて死ねたらそれで本望だと思うのです… (^_^;)