今日もまだずいぶんしんどい…。あとでまた寝込むかもしれません。
買い物はネットスーパーでとりあえず頼んだので、お昼はやや遅れるだろうけど、まあいいか、と思います。 今ごろになってから母が「喉が痛い」とか言っているので、やっぱり風邪かなあ、と考える。 身体が辛いとなんとも気が滅入る。私の場合はどちらが先だかわかりませんが、なんとも気力が出てきません。
タクシーでホームセンターに行ったと思って、ガーデニング用のレンガを2種類購入。ネズミ穴対策にちょうどのサイズだといいんですが…。ああ、でもこれもきっと私がやるんだよねえ…。もうやだ。しんどい…。
エアコンの修理もまだ頼んでないけどそれもしんどい。古い家のメンテナンスは非常にお金もかかるし、気が重いです。 …正直、希死念慮。寝ていればそれを忘れるから…。要するに「寝逃げ」というやつですね。
昨夜読んだら涙が止まらなくなってしまいました。「ペコロスの母の玉手箱」
「ペコロスの母に会いに行く」の続編ですが、今回は描かれている途中に、みつえさんが亡くなられたそうで、そのせいか追悼というか、追憶の色が濃い作品になっています。
みつえさんは認知症ですが、それゆえか心は自在に過去へ未来へ、亡き夫はいつもそばにいて、追憶の旅にみつえさんを誘います。息子たちもその母の追想の旅につきあいながら、懐かしい記憶を辿ります。
この時空間を自在に行き来するみつえさんの意識というのは、認知症の方に独特とも言えるかもしれませんが、夢とうつつの境界が非常に薄いように思われます。結局それだから、死への恐怖とか不安とかそういうものもなくなっていくようですね。
残されるものたちもそれにつられて懐かしい純化された追憶の中に両親と自分たちの居場所をしっかりと見いだして、母の死後もそれは永遠に輝く玉手箱の中身となるのです。
死に向かう人と、家族の有り様と内面の変化をかくも優しくファンタジックに捕らえて描いた作品があるでしょうか。知らずに涙を流しながら、私も大変癒された気持ちになりました。
みつえさんは在宅介護ではなく、グループホームで介護を受けておられました。四六時中、一緒にいるわけではない、家族のちょうどいい距離感が、この優しさと暖かさのあふれる空間をつくり出しているんだなあ。
24時間365日べったりの在宅介護ではこういう余裕は生まれません。 介護者に余裕がなければ優しさも生まれません。私はとても強く感じています。
同時に、母を特養に入れる時に、さてどうやって説得したらいいものかと、今から頭を抱えています (ーー;)