しんど…。昨日はまたついうっかり頑張ってしまった… (ーー;)
前から気になってはいたんですが、サイトのファイル名を日本語から横文字に修正したんですね。URLの一部になるから、そこだけ日本語だと日本語圏以外のところでは文字化けしてしまうので。少しずつゆっくりやるつもりが、結局始めたら休みながらでも一気にやってしまわないと気が済まなくなりまして。で、寝るまでに総577ページ分。
ほっとしたけど、またどーっと疲れた。私ってやっぱり中途半端が気に入らない人間だなあ、と思いました。自分がどうでもいい、と判断したことは本当にまったくどうでもいいのですが (ーー;)
このところ、そのより分けがますますはっきりしてきて、どうでもいいものは輪をかけてどうでもよくなりつつあります。自分の価値観でしか計らないから、ゼロでいいと思ったものには本当に眼も向けないしなあ…。
で、まあなんというか、私の中でもっとも無価値なのは虚飾に満ちたものだったりするのですが。いろんな意味でね。手作りとか創意工夫とかは好きです。基本的にそういうものの価値を感じます。
あと昨日は午前中に久々に昔の友人に手紙を書きました。アナログの友人でも手書きの文字はまともに書けないので、どうしてもワープロになりますが。せめて手書き文字に近いフォントを選んでみたり。
この人もそうですが、なんかかたくなにPCとかネットとかをやってくれない人なんだなあ。職場で使ったり、講習を受けたりして、まったく知識がないといわけでもないと思うんですが…。
私に近い世代の人って、こういうタイプが少なからずいますね。ちょっと連絡したい時にメールも出せないというのは、こちらからしたら不自由で困るんですが… (ーー;) 苦手意識かなんなのか、いつも悩むところです。
私もネットのない時代にはもっぱら手紙のやりとりがメインでしたが。市販のレターセットでは追いつかなくて、自分の便箋まで印刷で作ってね…。毎日ほとんど誰かに宛てて手紙を書いていた気がするから自分でもすごいです。何度も腱鞘炎になりました。
1993年頃に単独のワープロ専用機を買いまして、腱鞘炎予防のために使い始めたらやはりそれが楽でメインになりました。(その時すでに会社ではMacを使ってた)
2000年、初めてMacを買う時も「ネットとお絵描き」という明確な目標がありましたし、それは基本的に現在でも変わっていませんね〜。別に私が新しいもの好きだってわけでもないと思うし。
自分はごくごく自然にここまで来たから、いまだに「持たなくてもいい」という人の心情はいまいち理解しづらいところがあります。メールがだせたらいいのになあ、と一番切実に思う。
でもきっと相手はそれでも不自由とは思ってないんだろうな…。もしかしたら「情報に踊らされないゆとり」を選んでいる人たちなのかもしれないなあ、と、いまふと思いました。