昨日はマッサージの日だったので、施術してもらって、先生と話して、今日はいくらかましかな?とも思えるうちの母。
先生の話だと、この梅雨の時期に体調が悪いお年寄りが相当多いようです。特に湿度の方がね、自分では気付けないお年寄りも多いらしく、エアコンの調節が必要な機会が多いようです。うーん…熱中症の萌芽はいまからすでにありますね。もっと暑くなったら大丈夫かいな?とすごく気になります(>_<)
で、さっきの母と伯父との電話での話題はヒッグス素粒子で始まって、いつものように「昔の話題」で終わっていました。
それで初めて知ったこと。母方の曽祖母は六条御所、長講堂で生まれたそうで、なんでそんなところで?と聞くと、どうやら曽祖母はお公家さんの血を引いていたらしいとのこと。
母も私も初耳でした。明治の初めごろじゃないのかなあ?伯父は聴いていたかもしれませんが、こういうことは文書にでもなっていないと忘れられていくものですよね〜 (ーー;)
まあ、1000年も経てば今存在する「家系云々」はほとんど残っていない気がするから、結構どうでもいいような話ですが。
こちらは10万年後までも持ち越していくどうでもよくない話。
私はぽつぽつとお絵描きしながら、結構真面目に大飯町のことなどを考えておりました。
なんの専門家でもない私が考えた所でどうしようもないことなんですが、なんだかあのデモの時の若い人たちのことが忘れられなくて…。
こちらで大飯町についておおまかに記述されています。
再稼動した大飯町って・・
http://daikoube.blogspot.jp/2012/07/blog-post_7354.html
再稼働当日の前後にツイッターなどで漏れ聞く地元の声は複雑でした。
一応は歓迎している声。本当はあんなもの存在して欲しくない。とこっそり告げられた声。(公にすると袋だたきに遭うから、と)デモ隊に対しての非難の声もありました。
本当に複雑ですね。
それでもすでに寿命に近い原発を無理やりに延命させて、いつ動くかもしれない活断層の上で運転するというのは想像するだけで不安になります。
どのみち遠からず廃炉にしなければいけない時期は来ます。そのために必要な費用と人手を想像するだけでクラクラしますが…。これは全国の原発がそうですね。
原発が止まったあとの地元の人たちの生活を考えてみる。
自然に恵まれた立地が圧倒的に多いです。クリーンな再生可能エネルギー拠点にすることはそれぞれの条件に適応させていけば不可能ではないと思います。
若い人たちもそこで働けるようになるといいのに。
それと豊かな自然を利用して、全国の子供たちを常に受け容れて自然と触れ合い、学べるような宿泊も長期滞在も可能な施設を作って欲しいですね。
海はあるし、山はあるしね。必ずしも豪華な設備は必要ないと思います。
地元の農家や漁業の人たちのお手伝いをしてみるとか、畑を作るとか、そういうことが子供たちに(出来れば大人でも)気軽に出来るような自然共生村みたいな場所が作れないのかな?
素人の無責任な発言かもしれませんが、本当の脱原発は地元の人の理解と共に進めていくことも大切だと思うので、ひとつの理想を描いてみました。