たまたまにこんな悲惨な記事を見つけてしまった (ーー;)
二重にも三重にも重なる苦難。
なんとか出来ないものか、ひどく胸が痛む。
どうか、この老夫婦を救う術はないのだろうか?
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120120_見殺しの殺人
作成: 核-原子力事故救援NGO HCR [ Heart Care Rescue ] 日時: 2012年1月20日 6:44
「殺してやりたい」
おばあちゃんは、耳元で、3度、そう言った。
自分の旦那を、殺したい、と語ったのだ。
飯舘村。全村避難が完了した、ということになっている、
その地で、住み続けている老夫婦がいる。
かつて持っていた田2町部、畑6反、肉牛20頭を、
すべて核に汚染され、仕事も生活の糧も失い、
交通手段もないため東京電力からの一時金を引き出しに
銀行に行くこともできないまま。
今年2度目になる定期巡回で、またそこを訪れた。
今日はドイツのテレビ局のクルー2名も伴い。
これで何度目の訪問になるだろう。
玄関前の空間線量率2.48μSv/h。
その玄関をくぐると、排泄物の臭気が鼻孔をつく。
これは、初めて訪れた日から、強烈な印象として、
五感に焼き付いている。
病気で足腰が悪く、要介護であるそのおばあちゃんを、
旦那が介護している、という建前になっている。
その旦那は、
自分でトイレに行くことができず、
失禁してしまうおばあちゃんの下の世話もしていて、
三度の食事の面倒も見ている、という建前になっている。
自ら、何度も、我々に、そう語っていた。
だが現実は違う。
旦那は、おばあちゃんが失禁する度に、
あるいはそれに関わらず、
おばあちゃんをひどく折檻する。
食事も、ろくに与えていない。
本人の目の前で「もうこの婆さんは1年もたないから」と
平気で口にするなど、
おばあちゃんを認知症のように扱うが、
おばあちゃんの言葉は、実は、完全にはボケてはいない。
今までの何度かの訪問でも、
おばあちゃんは我々に、ほんの時折、そのことを訴えていた。
旦那の目を、盗みながら。
その声は、今にも消え入りそうに小さく、弱いものだが、
訪問を重ねるたびに、眼差しは壮絶なものへと変わっていった。
我々にできることは何か。
いつも頭を抱えてきた。
でも情けないことに、
定期的に訪れ、監視の目を光らせるしか、
できない無力さ。
支援物資の尿漏れパッドは、
訪れるたびに大量に置いてくる。
だけれども、毎日の生活の中で、
それはあっという間になくなってしまう。
そしてもはや、旦那側に、暴力への理由づけすら、
今はなくなってしまっている。
「失禁したから折檻する」というのではもうない。
こたつを囲み、わたしはおばあちゃんの隣へ。
ドイツのテレビ局クルーは、
口の重いおばあちゃんを片隅に、
積極的に話してくれる旦那にインタビューし、
その「献身的な」姿に感動さえしていた。
だけど、その「片隅」で、わたしは、
小声のおばあちゃんの話を、ずっと聞いていた。
靴がうまく脱げず、最後に玄関をくぐったわたしは、
唯一、旦那に聞こえない場所で、
「殺してやりたい」という壮絶な声を聞いたからだ。
おばあちゃんはこたつを囲んでから、
小声でわたしの耳元に、ずっと話し続けていた。
その声は、それでも少なからず、
旦那の耳に入ってしまっていただろう。
ものすごく不審な挙動で、旦那はこちらを気にしていた。
おばあちゃんは言っていた。
いつも、いつも、いつも、暴力を受けている、と。
我々が訪れた時にだけ、顔色を一変させるのだ、と。
もう耐えられない、殺してやりたい、と。
あの男には、絶対にバチが当たるよね?そうだよね?と。
恐怖のあまりにか、初めて出会ったときから、
どんどん小さくなってしまった目を、涙で潤ませ。
飯舘の役場の人は、震災以来4回ここを訪れ、
その度に旦那の暴力のことをこっそりと訴え続けてきたと。
だから、いつかここから救い出してくれると信じている、と。
だが現実は、「見殺し」だ。
役場は、何もしてこなかった。
そして恥じ入るべきことに、我々も、
まさに、同罪を、犯してきたようなものだ。
我々とて、殆どなにもできなかったのだから。
今日のおばあちゃんは、
あまりにも旦那に対して無防備に、
わたしに窮状を訴えた。
こんなことは初めてだった。
いつも旦那の目や耳を非常に注意深くかいくぐり、
我々に一言二言、漏らす程度だった。
後で殴られるのが恐ろしいからだ。
だが今日、その危険を顧みず、
ものすごく大きなリスクを冒し、
彼女は切々と、語った。
そして「殺してやりたい」と言った。
壮絶すぎて頭が真っ白になった。
事務所に戻り、我々は決断した。
もう介入しないわけにはいかない、と。
そうでなければ、時間の問題、かもしれない。
いまこうしている間にも、
おばあちゃんへの折檻は続いているだろうし、
それは日に日にエスカレートしているだろうから。
21:25
HCR代表より、まず110番通報し、飯舘村の管轄を調べた。
南相馬の警察が管轄だとわかり、
そしてその担当者は事情を聞き、
すべて南相馬の警察に内容を伝えてくれると言った。
21:35
震災・事故を受け、主幹機能を移転した
応答なし。
21:30
行政による被災者臨時雇用によって成り立っている
地元のパトロール隊の宿直室へ電話。応答なし。
21:40
飯舘村役場(形式的に残っている)の宿直室に電話。
担当者につながる。
当該世帯の住所・氏名を伝え、
起きていることを伝えた。
既に彼らは知っているはずのことだが、
角を立てても逆効果なので、素知らぬふりをして。
固有名詞を出した途端、
担当者の声色が変わった。
やはり、知っていたのだ。
警察に伝えたのと同様に、訴えた。
非常に危険な状態だから、監視の目を光らせて欲しい、と。
だが、おばあちゃんを保護する瞬間までは、
どうか慎重に動いてほしい、と。
そうでなければ、おばあちゃんは口外したことを責められ、
またひどい暴力をふるわれるから、と。
警察も役場も、現実には、殆ど何もしてくれないだろう。
実際に取り返しのつかなくなることが起きるまでは。
介入する、ということは、
「誰も住んでいない」ことになっている村の奥地で、
人が住んでいる、ということを、
今になって認めなければいけないのだから。
そしてそこで許されない惨事が、
起きているということも。
そしてそれを以前から、知っていたということも。
頭がおかしくなりそうな憤りの中にあるが、
我々とて、毎日そこを訪れ、監視することはできない。
どうすればいいのかわからない。
だけれども、全力を、尽くす。
可能な限り頻繁に訪れ、監視の目を光らせる。
警察や役場とも情報を共有しながら。
1億5000万人が暮らす、この日本という国の、
あまりにも悲劇的な震災と核事故を被った東北の地の、
福島という県の山奥にある、飯舘という村で、
今、起きていて、そして闇に葬られようとしている、
あまりにもおぞましい犯罪を、
許してはいけない。だからこれを書いた。
遠く広く、語り継がれることを祈り。
森本裕子 拝
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ここでもまた人知れずささやかな声が見殺しにされようとしている。
なんとか強引に保護が出来ないものかと思う。
社会の片隅で、声らしい声すらあげることが出来ない人を
救うことが出来ない社会はやはり相当におかしい。
誰か助けてあげてください!!