さすがに雪がぱらついています。今日は昼間の気温もあまり上がらないようです。
…が、ちょっと郵便局に行く用事はあるのだなあ…。とすると、ついでに伯父のところにも寄って、コンビニにも行ってくることになりますが… (ーー;)
昨日はそこまでの段階でダウンして、日記を書く気力が出ませんでしたが、今日はいくらかましな感じです。でも外出するとどーっと疲れる可能性はありますね。昨日がそうだったしなあ… (ーー;) それでも寝込むことはなくて、結局名刺のデザインなんかをやってはいたんですが…。
名刺のデザイン、なんだかどんどん増えつつあります。気力が続くところまでやってみて、いくつか出力してみてもいいかもしれませんね。うーん…。
あー、でも早いもので次の日曜日は元旦だなあ。サイトの訂正部分は早めに直しておかないと…、と、ここでメモしてみたりして… (^_^;)
私がいくらかでも関わっていた宗教のお話。
私が通っていた幼稚園はカソリックの私立女子高の系統の幼稚園でしたので、園内の行事はすべてキリスト教のそれでした。だからクリスマスには降誕劇もやりましたし、キャンドルサービスで聖歌を歌いながら病院を回ったこともあります。なにしろ子供ですから、砂にしみ込むように受け入れることが可能な頃でした。卒園の時には聖書もいただきました。
小学生になると、同級生には古来から伝統のある神社の息子さんなどもいましたので、よく遊びにも行きました。京都御苑の中にある神社ですので、今ごろ、そのもと同級生も宮司さんになっているんだろうな、と推察しているんですが… (^_^;)
我が家の場合は曽祖父の時代にどういういきさつでか日蓮正宗に入信したようで、祖父母はきちんとそれを守っておりました。ゆえにお寺関係の行事にも母が役員をやらされていた(人手が無くて仕方なく)こともあって、しばしば行きましたけど、法事なども含めてそれらはあくまでも「慣習」の範囲内の行動でしたね。別に「ご先祖は大切にしましょう」という以外に信仰心は持てなかったと思います。
母方の実家は浄土宗でしたので、お盆になると祖母につきあって、六道参りもしましたし、迎え鐘も撞きました。まあ、それはそれなりに興味深い行事ではありましたが…。
子供の時から多様な宗教関係の場所に出入りしていたにも関わらず、なぜか特定の宗教に入信しようとは思わなかったですね。そのかわりにすべての宗教関係のことに関心はあって、仏教も神道もキリスト教も自分なりにいろいろ研究したというか、勉強はしておりました。その関係でスピリチュアルにも関心がありました。
ユングとかシュタイナーあたりに傾倒していた頃もありましたし、いまでも関心は深いですし…。チベット仏教なども面白いですね。
甥っ子がまだ保育園に行っていた頃だから、もう十数年昔になりますね。
弟の妻、つまり元義妹になるYちゃんがママ友に勧められて、某新興宗教に入信しました。いわゆる「手かざし」で知られる所です。その頃には弟も心身の不調を訴えていましたので、Yちゃんにも悩みがあったんだと思います。
つきあいも関心もあったので、その「手かざし」の実体験もしましたし、京都市内の本部にも行ってみたことがあります。あそこは神さまの分身のようなものが存在しまして、それをいつも身に付けているというものでしたので、研修を受けてみるかなあ、と考えたこともありました。弟はそういうものが嫌いでしたので、母と二人でね。
でもなあ…。「やっぱり違うぞ」というどことなく説明が出来ない違和感のようなものを感じまして、直前に「やっぱりやめるわ」と…。
ただ、子供でも9歳になると、その研修が受けられるというので、姪と甥はそれを受けました。
この宗教は土日のたびにご奉仕で出かけて行くので、自然と「家族揃っての行動」が不可能になってきます。そうするとね、やっぱり難しくなるわけですね、夫婦の間でもいろいろとね…。
まあ、離婚の原因はそれだけではありませんが… (ーー;) 弟はいまでも入信を勧めた人を許していないようですが。
いまでもYちゃんと姪と甥が続けているかどうかはわかりません。あえて問いただすことはありませんし…。でもその宗教は現在ではカルトだと世界的には認識されているようです。手かざし云々で病気の治療が手遅れになった人も少なからずいるようですし…。
私個人は手かざし云々は波長と波動の関係かなあ?と、なんとなく感じています。すべての人に効果があるとはとても思えません。介護や救急の仕事を選んだ甥と姪が、それを続けているとはとても思えないのが私の本音ですけどね。
結局、いろいろな宗教に関心を持って、いずれも長所も短所もあるけれど、どこかになにかの共通する真理はあるだろうな、ということを納得したのと、さらにスピリチュアルのいいとこどりをしたのが、現在の私を支えるものだと思っております。
無宗教だけど、無信仰ではない…と言っても世間では納得してもらえないかもしれませんが、そこは私自身が納得しているからいいんです (^_^;)
サムシング・グレートと宇宙の摂理っていうのは一番しっくりするかもしれませんね。
ものごころついた時から、ずっと私が抱えていた疑問に対して、ようやく辿り着いた答えというか、これは信仰というよりはやはり人生哲学に近いかなあ?…と思います。
私を生かすための、大切なものになっているようだと思います。