今日は母の内科の受診日です。来週21日はクリニックの受診日。24日は母が外科と眼科に行く日なので、付き添いを頼まれています。差し当たって病院しか行く予定がないのが滅入りますが… (ーー;)
鬱と共生する方々、朝起きてみたら、特に原因もないのに、妙に泣けて仕方がない日、というのはありませんか?…私はあります。
どうやら今日もそういう日のようですので、日記も短めにしたいと思います。
現在、ブータン国王夫妻が来日されています。それに伴って、ブータンという国にまつまわる小さなコラムを眼にする機会が増えています。私もほとんど新聞を読まなくなっていますが、それでも目に付いたいくつかのエピソード。
飲もうとしていたお茶に蝿が飛び込んだ。「大丈夫?」とまず助け出すのは蝿の方で、無事に救出したらその場で逃がします。
鶴が飛ぶのに邪魔だから電線はいらない、とごく当たり前のように言われます。
国内には花屋さんが存在しないそうです。懸命に咲いている花を切り取って売買するのはしのびないので、お供えにも造花が使われています。…そいうふうなお話。
彼らにとって、生きとし生けるもののすべては、自分のご先祖や親族、あるいは友人たちの魂の生まれ変わりかもしれないからです。だから人間以外のすべての生命も大切にします。死後49日で別の肉体に生まれ変わるとされているので、お墓の必要もないようです。
…こういう話を聞きますと、日本人が過去のどこかに置き忘れてきたものが血脈を保って生き続けているような気がしてきます。彼らの幸福度の基本にはこういう思想が存在するということが自然と納得出来ます。
もちろん、国内から見ないとわからないことも多々あるでしょうし、どういう国家でも苦難の歴史や内憂外患は存在するでしょう。仏教的に考えてもなにが正しいことなのか、実は私にはよくわかっていません。
けれども。今の私たちが心に留めて考えてみないといけないことがある、と、この国の人は思わせてくれます。せっかくの機会。そういうことを改めて考えてみないとなあ…と私は思っております。
ブータンで死の床にある人たちと、日本の病院で死を迎えつつある人たちと…。どちらの方が幸福感に満たされているのか…。ここには深い課題が存在するように思えます…。