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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

夢ってなんだろう

今日もわりと暖かい。一年中ずっとこれくらいの気候なら、冷房も暖房もいらないから楽でいいのになあ。

引き続きお絵描き中。人物の塗りは終わったけど、まだ背景に悩んでいる。いや、イメージもテーマも決まっているのだが、自分が描いてもつまらないなあ、と思う素材だから余計に筆が進まない。正直なもんだよね(汗)いずれにしてもペンを入れる背景ではない。でも本当ならばこういう背景はきっとPainterの方がそれらしくなるんだろうな、とは思うけど。楽しくない背景をどうやって楽しんで描くか、まだまだ課題はありそうな気がする。

このところこのブログの記事もネットスケープで書いているけど、これだとどこで改行が入るかすごくわかりづらいのね(汗)強制改行を入れない限り、どこまでも横に文章が続いてしまう。IEの感覚とはまた違うんだなあ。フリーズしないのはありがたいけど。なかなか両方に慣れるには時間がかかるかもしれない。

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このところお邪魔するブログで「夢バトン」というのを時々見かける。なんとなくその答えを見ていると、ほとんどの人が子供の頃に「大人になったら○○になりたい」という夢を持っていたんだなあ、とわかる。

で、ふと振り返って、自分が子供の頃って「大人になったら」という夢をどう具体的に持っていたんだろうか?と記憶を辿っても、これがまったく思い出せないのだ。

私はわりと子供の頃から、自分がなにを考えて、感じていたのか、よく覚えている方だと思っていたんだけど…。「将来の夢」に関してはまったく記憶がないのね。…ということは、そもそもまったくそういうことを考えていなかった可能性が大きいなあ。

たとえば幼稚園くらいの時に最も一般的な女の子の夢として、よくあるのがお嫁さんだったり、ケーキ屋さんだったり、幼稚園の先生だったりするけど、そういうことはかけらも思っていなかった。本当にどういう大人になりたいか、という明確なビジョンがまったくなかったみたいだ。

ただその頃からすでに自分が一番楽しいこと、つまりお絵描きに夢中だったのは確かだ。それさえあれば満足してたんじゃないかなあ。で、おそらくそれをずっーっと続けたいとは考えていたみたい。

中学生くらいになって、将来を考える時期になっても「好きなことをずっと続けていくためにはどういう職業を選べばいいか」という基準で考えていた気がする。

不思議なことなんだけど、自分にとってのお絵描きはすごく神聖なもので、それを生業にすることも考えてはいなかった。10代の頃って、奇妙に潔癖なところがあって、神聖なものをお金に換えることがとても出来ないって思っていたのよね。だから絵で身を立てようとも思っていなかった。どういう立場になってもずっと描き続けたい、と願って、そのためにはどういう仕事をすればいいのか、って、なんだか仕事は二の次みたいな価値観がその頃からずーっとあったんだよなあ…。

ただ絵に近いものを仕事にするのは悪くないと思っていて、それはデザインだったり、手描き友禅などに憧れる素養にもなったんだけど。友禅の方はちょうど着物が廃れていく時期でもあって、あまり将来性が感じられなかったので、結局そちらの道は選ばなかった。(いまのブームを見ていると選んでもよかったのかもしれないが)

結果的にどういうことをしていてもお絵描きは続けてこれたんだから、夢は実現していることになる。これから先の夢も同じだし。ものごころついた時から好きなことをずーっと続けていきたい、というのも夢として考えてもいいんだろうか。だとしたら、自分にとっては一番幸せな人生だってことになるよね(笑)

我ながら不思議な価値観の人生だと思います(汗)

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