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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

手で描くもの?

明日から雨の予報だけど、今日はとりあえず晴天。にもかかわらず、とっても地味にお絵描き中。ただ黙々と筆を運ぶしかない、ものを作るのって本当にどんな分野でも地味な作業だよね。嫌いじゃないけど。まだ肩凝りがひどいので時々体操しながら描いている。

このところすっかりひきこもり生活なので、長岡京まで行くのがすごく大層に感じてしまう。でも考えてみたらボ○クスのショールームはくずはにもあるんだなあ。行ったことないけど。駅前にショッピングモールも出来たらしいので、来週母と一緒に行ってみようかと計画を立てた。あとは実行するだけね。考えてみればもう1年以上外食にすら行っていない。だからますます外出が億劫になる。いけないなあ、と思いつつも。

Web拍手ありがとうございます。

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昨夜、ふと気分転換にネットをふらふらしていて、故・ナンシー関さんの「記憶スケッチアカデミー」というサイトに辿り着いた。人間の曖昧な記憶だけで、テーマの画題を描いてみよう、という試みなんだけど、すでに本としても何冊か出版されているそうだ。知らなかったなあ。つい、そちらの方も注文してしまったわ(笑)

いくつかの画題とその作品がサイトにも掲載されていたけど、結構笑える作品が多い。いや、きっと描いてる人は真面目なんだろうな。でも「絵」という眼に見える形にしようとするのに頼りの人間の記憶と言うのはいかにいいかげんなものか、よくわかってしまう。特に日常的に絵を描く習慣がない人は余計にそうなんだろうと思う。

私でも町中に存在するものをテーマとしてもらったら、記憶だけでどれだけ正確に描けるかあんまり自信がないものね。過去にしっかりと作品の形で何度か描いた経験があるものは資料がなくてもわりと描ける。でもそれも正確を期すのならば、確認のための資料が必要になるけれど。

人間とか動物とかはやはり骨格や筋肉の構造がわかっていた方が応用がきくものが描けるのね。動きが追えるから。生き物ではなくても構造がわかっていた方がすべて正確になるのはいうまでもないけれど。

「なにも見ないで記憶だけで描く」ことを考えると結局絵を描くのは手の作業というよりも眼と頭の作業なんだと再認識させられる。実際に紙に書き写していく段階で頭の中に確固としたイメージがないと駄目だから。脳の中に形作られた画像を再生するために手が必要なんだよなあ。

その画像を脳裏に描く前に眼からの取材が必要なわけで。考えてみればお絵描きというのはなかなかに高度な脳の作業なんじゃないかと思うのね。

だとしたら案外年を取ってからのボケ防止に役立つかもしれない(笑)それでなくても右脳の作業だしね。

子供の頃にはみんな描いてたはずなのに、いつのまにか描かなくなってしまう絵。でも大人になってからでもその楽しさを再認識するのは悪くないと思う。私が自分のサイトでぬりえなど始めたきっかけのひとつがまさにそれだった。普段は描かない人にもお絵描きの楽しさを思い出してもらえるきっかけになるといいなあ、と。

すでに描く習慣を持っている人には他の人のデッサンとか色使いとか、また別の段階の楽しみ方があるしね。その人の描くレベルに合わせていろんなことが出来ると思うのだ。そのうちにぬりえだけでは物足りなくなって、独自のお絵描きを始めてもらえたらさらに嬉しいし。

…まあ、そういうようなことも願いつつ、サイトの試行錯誤を繰り返していたりするわけね。「想像と創造」を身近に感じてもらえたら嬉しいなあ、と願っている。で、私自身はもっと上手くなれるにこしたことはないし。5年目もきっとこの調子でいくんだろうな。

眼と頭とプラス、ハートですよ。忘れずに心に留めておきたい。

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