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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

筆まめに戻りたいけど

やはり今日も買い物で半日潰れてしまった。それもほとんどが食料品なんだもんね。なるべく近所で買い物を済ませようとすると、たとえ100円ショップでも結構な量の買い物になってしまう。でもお味噌だのしょうゆだのも上手くタイミングがあえば100円で購入出来る。どのみち家族の誰もが料理をしたくないから、ほとんどワンパターンのメニューでも仕方がないし。たまにコンビニのお弁当を買ったり、お寿司を取ったりしてバリエーションを増やしている状態。あーあ。家事はなるべくやりたくないのよね~(汗)

Web拍手ありがとうございます。 >昨日、綺麗だというメッセージを残してくださった方、どうもありがとうございます。まあ、それだけが取り柄のサイトですが、よろしければ今後ともどうぞご贔屓に…。

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自作のシールの原稿をプリントしてみて、まずまず満足している。解像度を落とさずに作った原稿なので、それなりに細かくても綺麗に出来てる気がするなあ。まあ、手間暇かけた甲斐があったというものだ。

こういうお手紙関係のグッズはそもそも自分が手紙を書くために作り始めたのがきっかけだったりする。同人誌の世界に入る最初の段階で、とりあえず便箋でも作ってみよう、というのがひとつのパターンだったりするのよね。

少部数で多くない費用で、自分の作品が印刷されるとどうなるのか、というのを試すにはもってこいだったのだ。

私も一番最初は黒いインクに白い上質紙、というところから始めた。そこから色インクを使ってみたり、色上質紙を使ってみたり、印刷屋さんが開催している便箋印刷フェアでグラデーションのインクを使う便箋を作ったり。そこから派生して、ペアになるカット入りの封筒とか、シールなども作ったりしたのだった。

そうこうしているうちに自分の絵柄に似合う傾向というのがわかってくる。本の表紙を作るにしても、必ずしもフルカラーの表紙がいいわけでもなくて、とてもセンスがいい人が作った多色刷り印刷の表紙やグッズの魅力を再認識したりもしたのね。

あの頃はたくさんの便箋を作っても、それを売るだけではなくて、自分でもかなりの量を消費していた。今のようにネットなどない時代のこと、電話代でも市外通話はかなり高い。そうすると遠方の友人とのやりとりは否応なく手紙が主流になるわけだ。

自分宛の手紙が届かない日はなかった。大体いつも複数の友人とのやりとりをしていたので、ほとんど毎日手紙を書いていた。それも趣味的な話の内容だから、枚数も半端ではなく、便箋10枚前後の手紙になることも少なくなかった。(ちなみに最長は便箋23枚でした)手紙の形の交換日記だと思えばいいんだけどね。

文章だけでなく、落描きは入るし、コピーは行き来するし、スケッチブックは行き来するし、定型郵便でおさまることの方が少ないくらいだった。本当にね、我ながら筆まめだったなあ。

たくさんの文字を書くのでペン先が柔らかい万年筆は必需品だった。愛用のものなど、20年以上使い倒して何千枚という手紙を書いていたことになる。しまいにはペン先に私しか使えないような癖がついていしまった。

今現在、手紙の宛名などはミリペンで書いているが、万年筆のソフトな書き味にはとても及ばなくて、よけいにへろへろした文字になってしまう(汗)

絵は描かないでいると下手になるけど、字も書かないとますます下手になるなあ、とこのごろよく思う。でもね、文通時代の後期にはすでにワープロを使うようになりつつあったので、その便利さに馴れてからはあんまり字が書けなくなってしまった。

最近の手紙でもワープロでの失礼を許してもらうしかなかったりして…。右手の中指と薬指が相変わらず痺れたままなので、余計に字が書きにくい。宛名を書くだけでほとんど目一杯かもしれないなあ、と自分が情けなくなったりするけど、これも一種の老化だとしたら仕方がないのよね、多分。左手の親指は腱鞘炎になっていたりするが、なんとかペンや鉛筆が持てるので、まだ有り難いと思う。私には字が書けないよりも絵が描けないほうが切実だからだ。

そんなわけでオフラインの手紙を書く機会も減っているけれど、手が動かないのは仕方がないとしても、これ以上頭が働かなくならないように、なるべくまめにワープロの手紙でも書かねばね、と改めて決意。

グッズを作るのは楽しいから、そのうち名刺なども作ってみようかなあ、とか考えたりもしている。

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