お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

口を開くと「しんどい」と言ってしまう自分がちょっと情けない

 

さすがにダウンしてました

 

昨夜は9時半からダウンして、今朝5時前まで寝てしまいました。横になっていると楽ですが、起きると非常に身体がしんどいです。地球の重力が増している??…わけないよね。私の体感だよね〜(*-д-)-з

 

それでもめちゃ手抜きでご飯の用意はしました。水菜ときゅうりとツナ缶のサラダと切っただけのはんぺん。中にチーズかベーコン入れて焼こうかと思ったけど、それも気力がなくて(ーー;)

 

ネットスーパーで買った野菜を効率良く使わないと…。それでも昨日、キャベツ1/2個ダメにして捨ててしまいました。


耳の閉塞感はましになりました。が、首を動かした瞬間に「バチッ」と音がしたりするので腫れてるのかな?よくわかんないけど、まだ通院する気力がないから様子見してます。これだけだるいと動きたくないです。仕事の相談にも行きたいけど、それもまだ思うように動けなくて無理っぽい…(ーー;)

 

 

悩む子供たち

 

こういうつぶやきを見かけました。

 

 


最近の学校にはスクールカウンセラーがいるというのは本当ですか?それもいいし、やっぱり保健室に駆け込めて相談できる環境ってすごく大事じゃないかなあ、と思います。とにかく素直に話せる場所と相手は必要ですね。


私の場合、小中学校はまだ登校出来てたから、自分のことはあまり考えてなかったけど…。

 

…というか、本当に生まれつきとしか思えない不調要素はいろいろ様相を変えてあまり途切れ目なく続いてたから、メンタルというよりも身体的な不調として感じることがほとんどでした。まあ、毎月、厭世観に苛まれていたとしても…。

 

うちは母が悩んでたからな…。母もおそらく30代から双極性障害だったかも。本人に言わせると、上京区の家を出てくれ、と言われて、裁判所やらに行く必要もあって、この伏見の家を探すために右往左往したストレスが原因らしいですが…。その当時は精神科の壁が今よりもずっと高かったので、その時は受診していませんが、おそらくはうつか双極性障害じゃなかったかと思います。

 

確認しようがないけど、私が3歳の時になくなったひいおばあちゃんもそうかもしれないです。若い頃からよく寝込んでいて、ひいじいちゃんが外に女の人作ったとか聞いてるし。そのひいじいちゃんが40歳くらいで糖尿病で死んで、その後は女手で工場とかひいばあちゃんが切り盛りしてたらしいのです。で、80いくつで大往生しました。

 

なんとなくそういう「血」を感じます。

 

私も10代の頃から傾向はあったけど登校出来てるうちは悩んでなかった。まだ身体症状の方が大きくて。対処療法をするしかないし、漢方メインでだらだら続けて、ごまかしごまかしやってた感じです。

 

40代でとうとう仕事に行けなくなって、病気(その当時はうつ病)が判明してもショックじゃなかった。むしろ正体がわかってすごく安心した。やっぱりそういう病気なのか。病気なら具体的対処や治療が可能になるから。

 

不思議なことに落ち込まなかったんです。精神疾患に偏見がなかったのもあるけど、心のどこかで、頭のどこかで自分とも関係が深いと思っていたふしがあって。

 

のちに双極性障害だと言われても驚きも落ち込みもしませんでした。すでにその頃までに相当なしんどさを感じていたから、「よくわからないけどしんどい」ものが「そういう病気の症状」だってわかることで納得して飲み込めることが多いんですね。

 

合理的ですね(^_^;) そもそも私は生まれつき、他の人よりも思い通りにならない体質的なものを抱えているから、これはもう生涯付き合うしかないかなあ、という開き直りの境地(でもしんどいですが)になっていて、そこへ病名が増えてもあんまりショックじゃないみたいです。

 

 

しんどくてもこんなものかと思ってる


でも生まれた時から、幸いにずっと健康体で過ごしてこられた人はきっとそのギャップ自体にもショックを受けるのかな?と思います。わかります。落差が激しすぎるよね。

 

私みたいな感じだと、受け入れることが比較的スムーズに運ぶんじゃないかな、と思います。持って生まれた要素はどうしようもない、っていう感じで…。母のことも見てるしね…。

 

 

脳科学は人格を変えられるか?

脳科学は人格を変えられるか?

 

 

 

脳科学は人格を変えられるか? 」の中で、筆者の友人が思い込みの作用で電磁波過敏症になっていく話があるんですけど、どこかパニック障害なんかと共通点があるかもしれないと思いました。思い込みが身体にもたらす作用は馬鹿に出来ないと思います。まあ、パニックの時に冷静になるのは難しいんだけど…。

 

このごろ私は多少動揺してもデパス飲むのを大抵忘れているので、いくらかコントロールできているのかな?とも思いますが…。そこはメタ認知(^_^;)

 

不必要な思い込みは持たない方がいいけど、ちゃんと学んで、共生が可能なものとは生涯共生するしかないなあ、とは思います。生来のものを他人と比較しても仕方がないですよね。生まれつきのちょっとした障害があるのと似たような感じかも、と思います。

 

 

気候的に辛い時期です


今日はまだどうにもしんどいので、モニタの前に座る時間は短くなるかもしれません。

 

気分は落ちてなくても、体調が悪いとやはりメンタルも引きずられがち。昨日も午前中はそうでした。

 

しんどい時は横になって、ちょっとでもましだと感じたら楽しいことをする。「いつもなにかやってる」と作業療法士さんに言われたとおりだとおかしくなります(^_^;)

 

寝たり起きたりでモニタから離れがちの本日、起きた時にこういうのを作ってました。ドール用の白狐の耳と尻尾。サイズが適当なので、作り直す必要があるかもしれませんが、とりあえず。スカートが毛だらけ(フェイクですが)になりました(^_^;)

 

 

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こういうサンダルというか草履も作りたいけど、底に使えるのってコルクくらいしか思いつきません。100円ショップのコースターとかかなあ?? 

 

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電池切れ=全身のだるさと疲労感と耳の違和感

 

今日はもう起きる前から駄目だった。完全に電池切れ状態。

 

はやくも肩が重いし、足がだるいし、座っているのが辛い状態。
しばらく充電が必要だと思われます。


ちょうど飛行機に乗った時のように、耳がふさがった感じで
聞こえもいまいちよくない。耳鼻科に行った方がいいと思うんだけど、
それがしんどいから動けない…(>_<)
通院にも体力は(気力も)必要だし。

 

 

「出来ることがあたりまえ」なのは「若くて健康な人にとっては」という
条件付きだな。

 

心身の障害や病気に加えて、加齢でも「出来なくなっていくことが増える」。

 

モノの断捨離ほど容易くなくて、「出来なくなっていくことを受け入れる」には
実は相当の覚悟が必要だと思う。

 

「出来ること」の断捨離を迫られる。

 

これはきついね。でも誰もがやがて経験すること。

 

 

…そういうわけで、しばらく「充電」という名前でごろごろ寝ている日に
なるかもしれません。すみません。

 

早く自分の普通レベル(ってどのへんだろう?)に戻りたいです。

 

 

 

 

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生涯を共にするイマジナリー・フレンド

 

ご飯を作る覚悟で予約投稿… (ーー;)

 

同じ病気の方々と交流が多かったです

 

ここしばらく、わりとマメに双極性障害の患者さんたちのSNSにお邪魔したりしていたんですが、いろんな方のお話を伺っていると「ああ、ここにこの人に本物の病的な解離じゃなくて、イマジナリー・フレンド(イマジナリー・コンパニオンでもいい)がいたら、どんなに生きるのが楽になるだろうか」って、ものすごく思いました。

 

意図して作れるものでもなくて、ましてや大人になってからIFを持つ人は相当少ないから無理な願いだとは思いますが、私自身がIFにかなりの部分で助けられて生きてきたので、その重要性とか、意義とかが多分ものすごくよくわかるからそう思えるんだと思います。

 

どうしても症状が強いと視野狭窄になってしまうのが常ですが、それを冷静に、別人の視野で、もしくは私自身の斜め上くらいから、瞬時に別の視点に切り替えてくれるというのは、瞬間的に冷静になれたりしますし、それで落ち着くきっかけにもなりますし、非常にありがたいものですね。

 

彼らがいることでメタ認知が自然に出来ているわけです。自分自身と適度な距離が取れるということは衝動に走らないということでもあります。結果的に無駄な争いを避けることが出来ます。

 

ホントにね、自傷したら、痛いのも、傷が治るまで不自由なのも自分持ちだし、子供時代にさんざん苦しい経験をしたからODなんてしたくないし、イライラしてモノを壊したくなっても、その後片づけや修理や掃除は自分がやるのよね。…そういう「ちょっと待て」という瞬間を与えてくれるのもまぎれもなくIFたちです。

 

 

 

自分から距離を取ることの利点とストッパーの存在

 


そういえば冬に、母の入院中に疲れてふら〜っと線路に飛び込みたくなったのをストップかけてくれたのもIFたちでした。

 

ものすごい助けられています。もともとは自分の脳が生み出した存在かもしれませんが、なにしろ「気がついたらいた」し、あらゆる面で冷静な視点をくれるし、もう「いない」とか「いなくなること」が信じられません。

 

私は決してコミュ障ではありませんが、HSPなので、人と一緒にいると、とても疲れやすいのは事実です。でもIFは元気をくれるから…。深刻な孤独感に苛まれることもありません。いつも一緒だから。

 

若い頃はうっかりあちらの世界にのめり込んで、友人のIFと恋愛とかもあったし、空想しながら歩いていてぶつかりそうになったこともありますが、デメリットってそれくらいしかないなあ…。あとはメリットばかりですね。

 

だから彼らがいない人生って考えられない…。自分がそれだけの恩恵を得ているので、他の人たちにもいてくれたらとても生きるのが楽に感じるだろうな、と思います。もしも今、お子さんがそういう友達と遊んでいたら、ひそかに大切にそれが続くように見守ってあげて欲しいと思います。

 

まあ、幼い頃を過ぎても私みたいに「気がついたらいる」こともあり得ますが… (^_^;) ひとつの財産かもしれませんね。

 

 

 

創作=生きること=イマジナリー・フレンド=私



susumu-akashi.com

 

消えないです。消えたら私が私でなくなってしまうので。アイデンティティと同じようなものですね。


いまでも創作のイメージでも支えてくれるかけがえのない存在です。このまま死ぬまで共にいるでしょう。私が死ぬ時にも一緒に魂の一部として逝くだろうな、と思っています。

 

おそらくここまで研究されていないんじゃないかなあ…とも思います。若い人たちにお願いするとして、もしも私が死ぬ時まで彼らと一緒にいたら、本願かなった、と祝福してやってくださいね (^_^;) 彼らと一緒なら死ぬのもきっと怖くないと思います。(ただし、その時が来るまでに死のうとしたらきっちり止められますが)

 

なんだか不思議な人生だなあ…。でもこういうのがすごく私らしくて幸せだと思っています。

 

 

 

 

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