つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

五感の記憶の話

 

記憶の話

 

私は昔から「丸暗記」が苦手です。だから「一夜漬けの試験勉強」とか「歴史の年号の暗記」などがとても苦手です。大人になってもそれは変わりません。いまだにあらゆるパスワードが覚えきれませんし…。よほど何度も書いたかどうかしたモノじゃないと思い出せません。

 

仮に覚えてもすぐに忘れてしまいます。

 

そのかわりに、いつまで経っても忘れないのが「五感の記憶」ですね。

 

自分自身の最初の記憶が生後6、7ヶ月からあるわけですが、その中でもはっきり覚えているのは五感で記憶したシーンですね。最初の記憶はまさしくそれで、視覚、聴覚(話し声)、嗅覚、触覚の全部がそろっていたわけで、だから特別に脳に(海馬か?)焼き付いたようです。

 

その後も五感の記憶はいまでも鮮明に覚えています。思い出すとそのシーンの空間の中に立ち戻れる感じ。そういう素養があるから、脳の中の別の世界の設定も鮮明なのかもしれません。

 

 


何年のことか思い出せないけど


その年の出来事を検索してくださればわかります (^_^;)

 

それが何年だったか?というのは覚えていなくても、例えば9.11のツインタワーの衝撃の映像を焼き付けると同時に、家の中で起きてきたショッキングな出来事もいまでも覚えています。翌年のお正月に弟が離婚を言い出すのですが、それの序章のようなことがあった時です。もう、精神的にもパニックしてました。

 

で、弟がアルコールで肝臓や胆嚢を壊してひと月入院したのが日韓W杯の年。あの暑い夏。病院まで母と二人で歩いて通って、かき氷を食べて息をついたこととか、水槽からジャンプして死んだアロワナとか、とんでもない夏だったなあ…。忘れたいけど忘れられません。

 

母が乳がんの手術で入院していた時に三重県沖の大きめの地震がありました。家では父と弟と共にテレビの前で座っていましたが、6階にいた母はキャスター付きのベッドにつかまっても揺れるから非常に困った、と言っていました。

この時は私もまだうつ病の診断で抗うつ剤(主にトフラニール)を飲んでいたから、テンションがいろいろ妙でした。

 

この状況は父の介護に入ってからも続いて、ネットを通じて遠方の友人に「大丈夫?」と言われるほどテンション高いこともありました。まあ、創作に費やしていたので、困るようなことにはなりませんでしたが…。

 

伯母がすい臓ガンで入院中に鳥取県西部地震がありました。

私は職場にいて、布地を選ぶために座り込んでいましたが、えらく周期の長い揺れに天井を見上げていました。まもなく伯母も亡くなりましたので、お葬式その他のために休みを申請したら、「なんか嬉しそうな気がする」と言われました。

まあね、もうすでに覚悟はしていたし、その時の私は仕事を続けること自体がかなり辛かったのだと思います。だから、「おおっぴらに休める」というのが顔に出ちゃった (^_^;)

 

もちろん、悪い事ばかりではなくて、旅行に行った時は五感がカメラの替わりでしたし、特に風景が綺麗な場所はその空間ごと記憶しています。

夏の富良野、美瑛。母との二人旅でした。

春の沖縄、玉泉洞、エイサー、琉球ガラス。沖縄そば。バスの移動中だけタイミング良く降る雨。まだ小学生の甥と姪が一緒でした。忘れられないなあ…。

秋の宮島、満潮と干潮の大鳥居。鹿。なつかしい京都の市電に市内で再会。この時は両親と3人の旅でした。

 

 

カメラに頼り過ぎないこと


カメラでないと記録出来ないものも多いですが、カメラに頼り切ってしまうと、こういう五感の記憶は働きづらくなるので、やっぱりいまどこかに行くとしても、撮影するものは限られてしまうだろうな、という気がします。

 

で、私の場合は電子書籍よりも紙書籍の方がやっぱり頭に入ると思います。触感とか、重さとか、ブックデザインとか、確実に五感に訴えてくるものが多いので、そういう内容をちゃんと記憶したいような本や小説などはやっぱり紙じゃないとダメなんですね。

 

「本を読んでいたその時のあれこれ」そのものを私は覚えているから…。そういう記憶と理解の仕方が私の性に合っているのだと思います。ものすごく時間が経ってから、イメージして染み出してくることもあるのね。富士山に降った雨が地下を通して伏流水から綺麗な湧水になるように…。

 

私にとっての理解とか記憶とかはそういうもののようです。ちなみに受験勉強とかには役に立ちません。ごめんなさい (^_^;) でも生涯忘れないものにはなると信じています。

 

 

 

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