熱帯魚がらみの思い出です
行けたら耳鼻科を受診出来るといいなあ、と思いつつ、予約投稿しておきます。
弟の水槽にいつの間にか小さなアロワナが入っています。私は魚の世話はしないと決めてますが、過去に(忘れもしない日韓W杯の年でした)数十センチに成長したアロワナが、弟の入院中(アルコールが原因で肝臓と胆嚢をやられてた)に、空中にジャンプして床に落下して、その当時はまだ元気だった父と母と3人がかりで水槽に戻そうと苦労したけど、大きすぎて無理で死なせた過去がありました (ーー;)
空中の虫をジャンプして捕らえる習性があります。ここはアマゾンの大河じゃないんだから… (*-д-)-з 成長しすぎると怖いです。でも昔から介護関係の人には「弟さんの調子は水槽を見ればわかる」と有名(?)でした。玄関にあるから、うちに出入りされる方には一目瞭然ですね (^_^;)
「容姿がいいと得をするのか?」
昨日のかこさんの記事からなんとなく思ったことなど…。
これのタイトルテーマについては面白い分析をされてますので、かこさんのブログをお読みくださいね〜 (^_^)
で、私個人については、美男美女はいくらかの距離を置いて眺めるだけ、「眼福の対象」ではあるけど、それだから近づきたいとか、そういう対象ではないな、と思ったのですね。
それってなんというか、眼が悪いこともあるけど、眼に見えるものをほとんど判断の基準にしていない、ということかもしれないなあ、と思います。
美男美女であっても、個人的に親しくなるにはむしろ眼からの情報は邪魔かもしれません。眼を閉じて、その人の話す内容や話し方や、全体の醸し出す雰囲気などの方が私には有意義な情報だなあ、と感じました。なぜなら話し方や雰囲気のようなものの方がその人の性格とか本質とかを表しているからですね。
五感のうちの、もともと視力は弱くて、私もいま現在聴力も弱いんですが、そうするとそれをフォローするみたいに敏感になるのが雰囲気とか、その人がまとう空気感みたいなものが敏感に察知出来るようになっています。五感とはちょっと違う感覚かもしれません。はっきり「オーラ」とも言えないんだけど、そういう皮膚感覚に近いものですね。
こういうのが敏感になると、ネットを通じてもなんとなくそれがわかるような気がします。人っていろんなものを判断基準にしているんだなあ、と思います。
案外、十人並みの容姿であることが平和でいいのかもしれませんね (^_^;) まあ、相手が美男美女でも気にならないけどさ。
「空気感」という独自の方法について
くうき‐かん【空気感】
人や場所などがもつ雰囲気。また、写真や映像などで、その場の雰囲気を感じさせる表現のこと。「旅の空気感を楽しむ」「空気感のある写真」 出典:デジタル大辞泉
そういえば私がどこかに旅行した時も、一番楽しむのが、そして最も記憶に残るのがこの「空気感」という奴なんですね。五感のすべてと五感を越えた「何か」をも含みます。
そういうものはもはや写真にも残さない。そのかわり身体の感覚すべてを使って記憶に残るから、何十年経っても「その場にいるがごとき臨場感」を伴って蘇ってくるものでもあります。写真や絵は第三者に伝えるためにはとても有効な手段ですが、この「空気感」だけは他の人とは共有出来ないから悔しいなあ…。
でも「人に対する捉え方」で私はその臨場感に近いものを観ていることも少なくありません。その時には視覚は結構邪魔なんですよね。風景とかはそうでもないんですが…。基本的に人物を写真に取りたいと思わないのも、その「空気感」で人を捉えたい思いが強いからじゃないかと思っています。
とても内向的な方法ではありますが、実はものすごく私らしいのかもしれない、と思います。
ちなみに、視覚をシャットダウンすると、世の中の偏見の6割くらいはなくなりそうな気もします。そうして違いを探すよりも近いところや共感する部分を探した方が気持ちが安らかになるんじゃないかなあ…。
ネットのSNSなどはまず視覚情報がうんと減るから、そういうところは有利じゃないかという気がします。