朝はやっぱりきついですが…
昨日、もやしを買ったので、なんとかご飯を作りました。
このごろ時々立ちくらみがするので、自律神経か、首と肩の凝りかあるいは血圧が下がるのかもしれません。上を向くとくらっとするから…。昼間でもずっと110(上)くらいなので、低血圧で朝が辛いのか、うつで辛いのかは自分でもわかりませんが、血圧計は弟が二階に持って上がっているので、取りに行くのも面倒だし、まあ、いいや。
これでも若い頃は低血圧でした。85/55とかだとかなりしんどい感じでしたね。勤務していた小児科で薬をもらっていたこともありました。まあ、いろいろ変化するものです。
子供時代から超神経質&超過敏でした
もともと私は幼児期にはちょっと外出しただけで、翌日には自家中毒で意識不明になって3日くらい気がつかなくて入院するのがしばしばある過敏な子供でした。繊細と言ってもいいんでしょうか?(笑ってもいいですよ〜(^_^;))
それが10代になって片頭痛を起こしたり、パニック障害になるくらいだから、やっぱり若いころは過敏だったのですね。だから深刻に悩んでました。
一時期、ストレスかな?神経性の食欲不振になって、1週間ほどヨーグルトしか食べられない拒食症に近い状態になったので、当時内科でもらっていたのがドグマチールでした。これは確かによく聞きました。
ドグマチールって変な薬ですよね(^_^;)
まあ、抗うつ作用もあるかとは思いますが、調子に乗って長年飲んでいたら、2年間無月経になりました。まだ30代だったので、いくらなんでも終わるのは早すぎると思いましたが、ない方が楽だったので、そのままにしていたら、また戻ってきちゃってがっかりでした(ーー;)
男性なのに「母乳(?)が出た」というのも聞いたことがあります。
それで精神科に行って初めて「あれは太るよ」と知らされた次第。まだネットがない時代だから、患者は薬についていまほど詳しく調べることができなかったのです。私はよく書店に走って、「おくすり事典」やら医学書を立ち読みしていましたが…。
精神科に行って、やっとドグマチールは飲まなくてもよくなりましたが、それから8年半くらいはずっとうつ病の治療をしていたので、抗うつ剤やSSRIを飲んでいました。
それなのに効果がないから、私も弟も双極性障害ではないか?ということで、そこで初めて双極性障害対応の処方に変わりました。昨日の年賀状を見てたら2012年のことですね。
先生に謝られましたが、でもそれでかえって信頼感は増しました。そういうときにちゃんと謝ってくれるお医者さんは信頼できると思いました。で、以後はリーマスがメインの治療で現在に至ります。
いつのまにか人は変わるものだという実感
いまはドグマチールがなくても食欲ダウンにはならないと思います。家族の命に関することを真剣に考えていても、食べるべきときにはちゃんと食べる。でないとしっかりと事案に立ち向かえないですし…。介護やら自分の病気やらを経て、いつのまにかそれだけメンタルが強くなっていたようです。
人間、変われるんだなあ、と思いました。電話の前に座り込んで一歩も動けずにいた人間が…。
これはなんでしょうね…。誰かに頼っていてはどうにもならない、っていう自覚かなあ、と思います。経済的、精神的に家の柱であった父が倒れて、いきなり要介護5になった。胃ろうが必要な障害1級になった。…いきなりの立場逆転です。
「私がなんとかしないといけない」と思ったら、本当に腹が据わった感じ。我を忘れて動けるようにもなりました。かつて母が「子供が具合悪いとな、自分がいくら高熱があってもそんなこと忘れて動けるねん」と言っていましたが、まさしくそれが逆転した次第です(^_^;)
自信がなくて頼りない神経質のきわみのような人間の私が、それでもいまは一家の柱にならざるをえない状態なので、それを背負えるだけ強くなったのかもしれませんね。
普通のご家庭ならお父さんの仕事ですが、でもなんらかの事情でお父さんに出来ない時はお母さんがかわりになったり、親が高齢になると今度は子供が柱になったりとかね(^_^;)
過去に戻って10代、20代の私自身にこういう話をしても信じないと思うな…うん。当時は全然そういう片鱗がなかったから…。
もちろんいまでも敏感すぎる部分は多々残っていますが、それでいながら、しっかり現実対応できるだけの処世術と強さも装備したと思っています。今は悩むより先に調べる、動く。
この先、自分ひとりになることがあっても、それはまったく恐れでも不安でもなく、精神的な自由になるのでしょう。でも世話がやける家族がいるのは、そういう鍛え方をしてくれるだけに大切な存在でもありますし、幸せなことなんだろうな、と思っています。
人はやっぱり「守られている」のではなくて「守る立場」になった時に強くなれるのだと思います。これも私の体験と実感ですね。