朝が非常に辛いので、また予約投稿しておきますね。すみません。
最近、なんとなく、「お人柄」という言葉をわりとよく聞くような気がします。
昨日なんか、一日に2度も聞きました。お1人は仕事のオファーをくださった方で、私がいままでに「ココナラ」でやった仕事の評価コメントの中に「人柄」に触れたものがあったから、私に声をかけてみようと思ってくださったらしいです。
どなたが評価してくださったコメントなのか、いまいちはっきりわかりませんが、まあ、確かに満足していただけた、という感想なんだろうな、と思うし…。まあ、ここのお仕事は急ぎらしくて、今回は残念だったけど、また声をかけていただける機会がくるかもしれないですし (^_^;)
もうお1人はオークションのお取引きの相手の方で、私が落札させていただいたものに対してのやりとりのあとで、そういう評価をいただいたものでした。オークションといっても1000円か2000円のハンドメイドのお品で、その方とは2回くらいしか取引させてもらっていないんですが、それでもそういう評価をいただけたので嬉しいです (^_^)
私なんかきわめて普通のことしかしていないのに、そういう評価をいただけるのが不思議なんですが、世の中であまりにもその「普通のこと」がきちんと出来ていないから(政府ですらあれだもんな~ (ーー;))それが目立つというのなら、あまりにも悲しい社会ですが、そういうわけではなくて、本当に私の気持ちが伝わって思ってくださったなら、大変嬉しくありがたいことだと思います。本当にどうもありがとうございます (^_^)
(変なメールにもめげずに頑張る甲斐があるというものです (^_^;))
そういえばうちの両親もよく人から「お人柄ですね (^_^)」と言われる人たちでした。多くの人を招く両親のパターンとは私は微妙に違う気はしますが(ネットメインだからね)、それでも嬉しいと思います。
顔が見えない世界ですが、案外対応というのは目立つのかもしれないなあ、と思いました。
いまどきは就職や転職にネットやメールを利用する人もいると思いますが、もしかするとスキルと同じくらい人柄って見られていて評価されて採用の時にも利用されているのかもしれませんね。私の感じでは五分五分か、もしくは「人柄」の占めるウェイトが大きい可能性もあるのでは、と思います。
多くの人が集まって気持ちよく仕事していくにあたっては、やはりそういうものって大事になると思いますし…。私なんか会社勤めにはどうやっても向かない人間だと思いますし、5時以降はさっさと帰宅するヤツですが、コミュニケーション障害ではないと思うし、実際に20年以上働いてきた経験もありますし、それはまったく無駄にはなっていないと思いますが。(それなりに社会性は身に付いていると思いますが、でも一人上手だし)
すごく心が弱っている人は、人と対峙すること自体が大変なんですよね。そういう時は無理しなくてもいいと思いますが、なんていうかな、人と関わることってやっぱり自分一人では得られないものに出会えるんですよね。嫌なこととか辛いこととかあるけれど、無人島に一人で生まれて生きてきたとか、そういう場合じゃない時は、人と関わるチャンスがあるから、いろいろと新しい可能性もあるんだな、と思います (^_^) それが生きることの醍醐味にもなり得るんですよね。
↑ 特養で撮ってきた見事なアレンジメント(生け花??)