バーストラウマというもの
お知り合いのブログで興味深い記事を読んだ。「バーストラウマ」誕生時の傷、というもの。
安産で生まれてくれば問題はないけれど、難産で生まれてきた場合、生まれてくる段階ですでに大きなトラウマを背負ってしまい、ともすると解消されるまで生涯に渡って影響されることがあるトラウマ…。
よく3,4歳頃までの子供は誕生時のことを記憶しているというし、そういう出生時のトラウマがのちに深層にしまい込まれても影響を及ぼす可能性はあるだろうな、と思う。母親に罪はないけれど、出来ることなら幼いうちにそれを解消してあげることができるなら、子供の人生はのびのびしたものになるだろうな、と思う。
ちなみに、私も弟も難産で生まれている。
私の場合、胎内にいた時は逆子状態だったらしい。それを助産師さんだか先生だかがマッサージのようなもので、正常な位置に戻したのだとか。でもそのことで臍の緒が絡まる状態がひどくなった可能性がなきにしもあらず… (ーー;) 陣痛微弱で、これ以上促進剤を打つと子宮が破裂するから、と先生が馬乗りになって母のお腹を押さえて、やっと生まれたのはいいけれど、首には二重に臍の緒が巻き付いていて、すぐには泣かなかったらしい、私。結構長い時間首を絞められていたような気がするなあ… (ーー;)
弟の場合は4000gを越える巨大児だったので、24時間たっても生まれなくて、むしろ上にあがってくるように感じたそうだ。で、結局鉗子分娩になった。生まれてからも鉗子の跡が残って、母はせっせとヒルロイド軟膏を塗布し、祖父は「悪いところを洗えば治る」という信仰がある「洗い地蔵さん」に日参した。おかげで鉗子のあとは消えたけど、弟の場合はメンタル的な部分を中心にトラウマも大きく残っていると思われる。
私はいまでもとにかく首を締めつけるものがまったく苦手だ。タートルネックなどもってのほかで、衿のある服も着ないし、冬でもマフラーもしない。普通なら胸で感じる動悸を首で感じる。首と喉の神経がひどく過敏だ。長い時間口を開けているのも駄目だ。
内視鏡なんて死んでも嫌だ。死んだ方がましだ。内視鏡を飲まねばいけない事態になったらそのまま死なせてくれと頼むつもりだ。それでなければ全身麻酔でなにもわからないうちにやってもらうか。理屈ではなくてとにかく駄目なものは駄目だ。
実は私の場合、首と喉にははっきり記憶しているトラウマがもうひとつある。二重のトラウマの鎖が絡まっている。
5,6歳の頃、私があまり頻繁に自家中毒で重症になり、入退院を繰り返すものだから、根源の病床は扁桃腺にあるのではないか?という話になった。
両親はどこからか日帰りで手術が出来る耳鼻咽喉科を見つけてきて、そこで手術することになった。渋る私に「あんパン買ってあげる」と言った母も母だが、それで頷いた私も私だな… (ーー;)
いまの扁桃腺の手術はどういうものかわからないが、当時は麻酔液を塗布しながらやる部分麻酔。なにをされているか自分でもわかるし、なにより痛いし、苦しいし吐きそうだし気持が悪い。どうにかこうにか手術は終わったものの、待合室の両親は私の泣き声で生きた心地がしなかったらしい。
結局その夜、私はショックのあまりに自家中毒を起こし、喉の出血が怖いのでまたまた入院するはめになった。
果たして効を奏したのか、またはそういう時期が来ていたのか、これを最後にやっと私も自家中毒から卒業した。
首と喉にはそういう二重の深いトラウマがある。たやすくほどくのは難しそうだが、いろいろと良策を探ってみるのも面白いかもしれない。解放されると人生がもっと楽に感じられるようになるそうだから、それがいいなあ、と思う。
いずれにしても「気付きの一歩」から始まるものがあるよね、というお話。