実は相当しんどいんですが、今日、特養に行くと相談員さんにお会いできる可能性が高いらしいので、頑張って行ってこようかなあ、と考えているところです。
暑いなあ…。しんどいなあ。夏嫌い…。一年で一番体調が悪い季節だし…(ーー;)
五山の送り火
8月16日、京都では五山の送り火が開催されて、それなりに(いや、かなりかも)の人出で賑わいます。
この行事があるゆえに、京都では迎え火は各戸で焚いても、送り火は焚かないと言われています。お盆に一時帰ってきた死者の、先祖の霊を再びあの世に送る壮大な火の祭典。いつ、だれが始めたものなのか、よくわからないあたりが奇妙に歴史を感じさせます。
ちょうど私の誕生日
私はこの五山の送り火の夜に生まれました。
「陣痛微弱でなあ…。しまいには先生がお腹の上に馬乗りになって押さはった」と母が言いました。
母のお腹の中にいた時に、逆子だったことがわかって、助産師さんだか看護師さんだかが、正常の位置に戻るようにマッサージのようなものをされたそうです。そのおかげで(?)私の首には臍の緒が二重に巻きついていて、生まれてすぐに泣き声をあげることがなかったそうです。
「あんたはな、大文字の送り火が全部消えたころにやーっと生まれてきたんやで。」と言ったのは祖母。物心つくかつかないかころから、幾度となく聞かされた話です。
上京区に住んでいた頃は、京都御所の下立売御門のあたりまで行くと、大文字はかなりの大きさと迫力で見ることが出来ました。
少し離れた中学校(父の母校ですが、今では廃校になっています)の屋上に登ると、鳥居や船形や左大文字なども見ることが出来ました。妙法は標高が低いから無理だったなあ…。
伏見に越してきてからも、名神のバス停に登ると船形や鳥居は小さいながら見ることが出来ていました。今は防音壁があるから無理ですけどね。
子供の頃から感じていたこと
でもなんというか、「五山の送り火の日の夜に生まれた私」というのは不思議な感慨がありました。
多くの先祖霊が帰って行くのとは反対に、わざわざ生まれて来たんです。そのこと自体になにかの意味があるような気がして…。幼い頃から何度も繰り返し聞かされた祖母や母の話から、「ご先祖」というものに対しての独特の思いが生まれ育ってきたような気がします。
「私ら、帰るけどなー。大変やけど、ほな、あんたは頑張りやー」と言われているみたいな気がしていました。
同じ誕生日の人が同じように感じているとは思えませんが、私の場合は日付も時刻も京都という場所もすべて意味があったような気がします。
あの世とこの世の距離の近さを感じるのはそのせいかもしれません。生まれつき、私にとっては「あの世」は不思議に近しいものでした。
どこか悟った気がする人生
そういうふうに自分なりに懸命に生きてきたと思います。「人間50年」の時代なら、とっくに鬼籍にいてもおかしくない年齢になりました。おかしくないどころか、むしろ祝われる年齢ですね。85歳を越える寿命の時代では祝われるような特別なことでもなくなりましたが…。
うん、でもあのひ弱な子供がよくぞいままで生きてこれたなあ、とも思います。成人してからは取り立てて大きな病気もせずに。まあ、双極性障害というのは脳の誤作動だからご愛嬌みたいなところもなきにしもあらずですけど…(^_^;)
いつも「死」を見つめていたのに、思うと本当に不思議です。どうしても、いくら死にたくても生きないといけない、というのは同時に感じていたことの一つでした。
結構、幼児期から悟っているみたいなこともあって、「結婚しない」「自分の遺伝子は残さない」という意識なども4、5歳の頃から定着していたから、それが不思議なことだとも思わなかったですね…。その選択が許される家庭と家族を選んで生まれてきたような気もします(^_^;)
送り火を見ると「頑張りやー」と今でも言われている気がします。いつか「おかえり」と迎えられる日が来るまでは…。