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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

依存症との闘いは続く

外は雨なのに、今朝方久しぶりに火事の夢を見た。それも規模の大きな火事。大型のショッピングセンター丸ごとくらいの規模で燃えていた。火事の夢は吉夢と言うけど、あまりに規模が大きいと災害を連想して不安になるなあ。都全体が燃えていてもおかしくない感じの夢だったし… (ーー;)

…昨夜は母がなかなか寝てくれなくて、確実に私の方が先に寝ました。それでも11時は過ぎていた。一日のデパスの量をなんとか3錠でセーブしようと思うと、必然的にリスパダールの方が増える。それでもセーブしてなんとか動けなくなる前で止めている感じかも… (^_^;) すごい微妙な匙加減ですが。

こういう薬とかアルコールなどへの依存、というのはもともとはマイナスの要素を解消しようという欲求から始まっているから始末が悪い。落ち込むから、具合が悪いから、憂さを忘れるから(たとえ一瞬でも)、肩凝りがマシになるから、よく眠れるから……というような理由が最初にあるのね。

で、またそういう悩みを一時的に解消する作用は確かにあるから、何度かそれを利用しているうちにアルコールから離れられなくなっていく。あるいは向精神薬の中には依存性が強いものがあって、母などが捕われてしまったのもその類いの薬。最初はわずかな量でも徐々に効果が感じられなくなるから、知らぬ間に量が増えていくのが怖いところです。

 日韓ワールドカップの年だから10年くらい前か?夏、弟が肝臓を悪くして入院した。お酒を飲んで吐いて、吐いてもまだ飲む、というアルコール依存だった。でも初めてのことだったので、ひと月一般病棟に入院して、検査と治療をしてもらった。「次は精神科ですからね」というお言葉つき。

なのに退院直後にまた飲み始めた。懲りてない。クリニックの先生の指導の元、断酒するも、離脱の時にてんかんを起こすようになった。(そういうこともあるんですよ、と先日母がお世話になった神経内科の担当医に言ったら「まさか」と言われたので、「まだまだ甘いね」と心の中で言い返したり… (^_^;))

で、結局てんかんの薬の処方を受けつつ、アルコールの代替をする薬で抜いていったわけです。途中で行方不明になる事件もありましたが…。一般病院で非常に冷淡な扱いをされたりとか、そういうこともあって本人が懲りたのかもしれません。今は迂闊に口にすると吐いてしまうようになったそうです。

てんかんの薬は双極性2型にも効果があるから、量を減らしていまでももらっています。

母の場合は確実にデパスレンドルミンの薬物依存ですね。もともと父の介護中にお酒を飲んでたから、依存症になりやすい素質はあったんですが。アルコールの場合はマッサージの先生が一緒に断酒につきあってくださった効果もありました。タイミングよく近所の酒屋が閉店して販売機がなくなったのもありますし。

それが今回は自分の処方でもらっている以外に、内緒で私や弟の薬を抜き取ったり、伯父に頼んで余分にもらったりして、気が付いたら規定量をかなり越える薬を飲んでしまっていた次第 (ーー;) 

夏ごろから私にはその危機感があって、早めに病院に行こうと言っていたんですが、結局てんかんの発作が起きるまでそれが不可能だったんですね (ーー;)

もとから「薬」というものについてなんでも飲みすぎる傾向が強かったんです。必要な薬を飲まないのも困るけど、飲みすぎるのも困る (ーー;)

頼りたくなる気持はわからなくもないけど、お酒でも薬でも飲まれてしまったらアウトですよね。自分でコントロール可能なうちにやめておくのが賢いつきあいだと思うのですが。

母の薬依存との闘いはまだまだ続きそうです (ーー;)

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