お互いさま おかげさま ありがとう

両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「自然である」ということを考えた

一般的な救急車の出動をどうこう言ってる場合ではなくて、私自身もこの時期不調が強いです。昨夜も10時ごろ早めに寝たのに(なんか具合が悪いから珍しく救心も飲んで)、朝になっても気分が悪くて起きられず、結局デパスセディールなどの安定剤と吐き気をおさえる五苓散も飲んで、すべてが効いてきてマシになるまで起き上がることが出来ませんでした。そうしたらすでに午前9時 (ーー;) どこにも行かないからいいけどさ。

今月はまだ食料品のまとめ買いに行っていないから、すごく嫌だなあ、困るなあ、辛いなあ、と思っているのが本音です。私のそういう心理がこのごろ母にも移ってきたのか、母も同じようなことを言い出したし…。

大阪駅周辺とかまとめてショッピングビルが出来るたびに文句を言うしかないんだな。来月には最寄りのダイエーも閉店します (ーー;) 経済界にとっては「車で出かけて、カードで買い物する」人間しか「客」じゃないのよ (-_-メ)

しんどさや身体の不自由を持つ人間はどんなに気候や天気が良くても、ちょっとそこまでの気晴らしや観光にすら出かけられないんだよ。また嫌なゴールデンウィークが近づいてきます。元気な人には嬉しい期間だし、かつての自分にもそうだったんですが…。元気であるかどうかで180度世界が違ってしまうのが哀しいです(>_<)

さて。

 このところ尊厳死について考える本と並行して、日渡早紀さんの「ボクを包む月の光」を通しで読んでいます。

で、枠外の1/3スペースの中で日渡さんのつぶやきを拾いました。どうやら数年前のことと思われますが、日渡さんもお母さまを脳梗塞で介護の後、看取られたようです。相前後して愛猫の死もあって、彼らを荼毘に付して見送って、不思議と「エコに熱心になりました」とのことでした。

人も動物も生を終えたあとの肉体というものは燃やされたり埋葬されて大地に還っていく、地球に還って行くわけですよね。なんら見返りを要求しない地球ってすごいなあ、というのが大意だと思うんですが。

これは私も思っていて、父の火葬の時も綺麗に晴れた空を見ながら、「ああ、大気に還っていくなあ…」とひどく癒される気持ちになったものでした。そしてそういうことが「自然のうつろい」じゃないかと感じた次第です。

「自然であること」というキーワードで考えると、個人的な問題に関してはおのずと答えが出てきます。

父は亡くなるまでに3年半ほど胃ろうで過ごしました。胃ろうにすることに対しては以外と簡単に決定することが出来ました。父自身が生きたがっていたこと、私たちも父に生きておいて欲しいと願ったこと、そのためにちゃんとしたケアが出来ること、それと胃ろうの場合はもし不要になれば(これは改善を意味する場合)いつでも取り外すことが可能だからです。事実、本当に死の直前まで私は父の回復を信じていました。

それから何度目かの入院でICUにいる時に人工呼吸器のことも聞かれました。もしもそれが必要になった時はどうしますか?と。実はこれもそんなに悩みませんでした。呼吸器の場合、一度取り付けると人為的に外すのが難しくなること(親戚の体験で、呼吸器だけで1,2年生かされてしまって、結果的に苦しみを長くしてしまったケースも知っていたからです)、そこまでの状態になれば、もはや全身状態も相当悪くなると推測できることなどから、母と話して、その場で「人工呼吸器はつけないで欲しい」と答えました。

だから本当に自発呼吸の最後の一息まで看取ったわけですが、その時は酸素吸入こそしていたものの、ほとんど多臓器不全に近いと思われる状態で、呼吸器をつけなくて本当によかった、と今でも思っています。

人工呼吸器の問題は患者さんのケースが本当にさまざまなので、一概に決められなくて難しいことだと思いますが、やはり家族は常日ごろから考えておくというか覚悟を決めておくとか、そういう必要はあるなあ、と思っています。

我が家の場合は「なにが自然で、なにが自然ではないこと」かを基本にしていたように思います。

臓器移植でもそうだよね。生前に移植を希望されてた方が亡くなられた場合、その意志を尊重してあげるのがベストかと思いますが、そういう意志を残さずに亡くなられた患者さんの臓器移植の決定が家族のみに委ねられた場合、これは私なら拒否します。家族と患者自身にとっても「自然なこと」ではないからです。

…というか、そもそも私は他人の臓器をもらってまで生き延びたいという心理がわかりませんし、そういう技術そのものが「不自然の極み」だと思うので。そういうことには賛同しかねます。

不幸にして事故などで脳死になられた方と、移植でなければ生きられない方の生命とどちらが重いのか、秤にかけられますか?事故に遭ったのも運命なら、重篤な病を得てしまったのも運命です。どちらもひどく辛くて哀しい不幸ですが、それを片方を助けるためにもう片方をどうこうするのって、やっぱり自然な行為だとは思えないのですよね。

肉体は地球からの借り物であり、宇宙からの借り物でもあります。使い終えた肉体を出来るだけ自然な形のままで地球に還すのが、この星に生まれて生かされてきたものの使命ではないかと思ったり…。

そういうことをもろもろ考えさせられた読書の時間でありました。

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