現実の社会が、どんどん悪い方向へ向かっていくのを見ていると、私も徐々にうつが強くなっていくのがわかるんですが、それでも気になって社会の動きから眼が離せない、というのは、結構困ったことかもしれない、と思うこのごろです。
それなのに、眼を離すとなにが起きているかわからないという不安がありまして、さらに眼が話せなくという、悩ましい悪循環… (ーー;)
昨日、twitterで流れていた大阪市の職員に対する橋下市長のアンケートは非常にショッキングでした。
維新の会が遠からず全国に進出するだろうことは明らかに予測可能ですし、全国規模でこういうことをやられたら、日本は紛れもない独裁&恐怖国家になってしまう、という不安が非常に強くなりまして… (ーー;)
なんというか、私もちょっとばかりノイローゼっぽくなりつつあるのかな?とか、緊急でクリニックに駆け込まないと駄目かなあ?とか、昨夜は本当に深刻に悩んでいました。
厭世観は強まるばかりですし、私はあきらかにおかしいと思うことに、どうして誰も何も言わないんだろう?おかしいのはあちらではなくて、私の方なのかな???とか、悩んでたんですよね〜。
それでも今朝、毎日新聞を見たら、これは法律違反だという指摘もされていましたし、さらにtwitterで意義を唱える人がかなり多くて、そうだよね、やっぱりおかしいのはあちらの方だったんだ、と少しだけ妙な安心の仕方をしてしまいました (ーー;)
全然物事は解決していませんが、少なくとも「おかしな世の中」の現状に気付いて、声を上げる人が存在した、ということに救われる気持ちになったんです。
そういうことにちゃんと気付く人が増えていけば、本当に悪い方向に向かわずにすむ可能性もあるかもしれない、と思ったんですよね。
個人として声を上げることも大切ですが、報道の立場にいる人や、人目に立ちやすい人たち(芸能界の人や政治家や専門的な職業の方々も)がもっと「おかしい」という声を挙げてくれたら、社会は最悪の方向に向かわずにすむかもしれません。
いまだにそういう人の声が少ないのが残念で仕方がありませんが。山本太郎さんに続く人がもっと増えてもいいなあ、と私は思うんですけどね…。
そういう次第で、このところ毎日のように、厭世観とわずかな希望の間を激しく揺れ動いている私です。絶望するのは昨年以来何度もありましたが、自分でも意外にしぶといなあ、と思えたり… (^_^;)
今日も揺れ動きつつ、少しずつお絵描きを進めております。
昨夜読んだ本。「異界からのサイン」
松谷みよ子さんは昔から、現代の民話というか、遠野物語というか、そういうものを収集されておりますが、この本もそういう内容です。
怖くないオカルト、というと身も蓋もありませんが、こういうことってあるよね、とごく普通の生活の中で珍しくない逸話ばかりですが、こういう次元を越えるような世界の存在感は、不思議に気持ちを落ち着かせてくれるような安心感がありますね。
形にならない大きな愛情のようなものすら感じます…。