結局、昨日はなにをやっても上手くいかない日で、ひたすら落ち込んだまま寝てしまいました。
で、当然、今朝の気分も最悪で、「もう起きられない。ずっと寝ていたい」と7時半くらいまでごろごろしていたんですが、やっぱり用事はあるよね、と本当に鞭打つ気持ちで起きました。
典型的な鬱の波に呑まれております (ーー;)
本当に寝たままで目が覚めなければどんなにいいか、としみじみ思いますね〜。もうたとえようもなくしんどい… (/_;)
それでも今朝、メールをチェックしてみると、土曜日に納品したお仕事のデータが、お客様に大変喜んでいただけて、おかげさまで、かなり気持ちが浮上出来たような気がします (^_^;)
身体の辛さは変わりませんが、精神的にはね、本当に嬉しかったので… (^_^;)
今回は「花うさぎ」のデータを高解像度&大きなサイズに再構成仕直すもので、しかも個人のお客様でしたので、金額的にはわずかなものですが、それでも労力には相応だと思われましたし、なにより非常にご満足いただけたから、私にも嬉しいお仕事でした。
こういうことがコンスタントに出来ると嬉しいのだけど…。さすがに世の中はそう甘くないかな? (^_^;)
それでも自分が可能な範囲で、なんとか、なんとか、と足掻いている次第です (ーー;)
昨夜、寝る前に読んでいた本です。
「看取りの医者」平野国美・著
文字通り、在宅介護の場で、終末期医療の往診だけを専門にされている、お医者さんの手記のようなものですね。
末期のガンだったり、脳梗塞だったりする患者さんを看取る家族とお医者さん。私も父の時にはまさしくそういう立場にいましたので、やはり他人事とは思えませんでした。
新任の頃のとまどいと、病院で死を迎える患者さんについての思いとか、それはこの平野先生自身の心の軌跡のようでもありました。
かつて、大家族であった日本人にとって、「家族として迎える死」の自然な趣とか、確かに祖父母と共に暮らして、その死を見守ることによって、子供が得る経験の得も言われぬ貴重さとか、いろいろと考えさせられますね…。
私が祖父の死を体験したのは小学3年生の時でした。発見された時はすでに手遅れの末期の直腸ガンで、祖父はわずか2週間家で寝ついて逝きました。その時も往診のお世話になった先生がありました。
40年以上昔のことです。延命治療を受けずに静かに見送ることは、祖父にもよかったんじゃないかなあ…と、振り返っても思えます。
父の場合もそうですね。病院では尽くせる手は尽くしてもらったし、あとはかかりつけの先生のお世話になって、本当に自然に衰弱して逝きましたし…。
不思議なことに父には死臭がしなかったんですが、それも在宅では珍しくないようですね。最期までチューブに繋がれて病院で逝く人だとそういうことはあまりない、とか…。
いずれにしても、患者当人に「自宅で死にたい」というはっきりした意志があり、家族にその環境があれば、やはり在宅死はひとつの理想的な形なのかもしれません。
少なくとも患者と家族にとっては後悔が少ないんですね。
さらにどんどん増えている独居老人の看取りについても、この本ではひとつの理想的なケースが示唆されています。なかなかこういう環境が整うことは難しいでしょうが、出来ればこういう最期を迎える場所が増えるといいな、と切に願ってしまいました。
非常に深く、さまざまなことを考えさせられる本です。5つ星のお勧め本です (^_^)