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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

古代は官能的

昨日の京都は36.3度だったそうだ。今日もそこそこ暑くなりそうで、もう本当にばててしまう。私の部屋でも33度くらいにはなるので、来年こそはエアコン入れるぞ!とかたく心に誓ってしまうなあ。ただでさえない集中力が本当に眼に見えて目減りするのがわかってしまうしね(汗)

一昨日書いていたツネさんの写真集&DVD、2000名限定の予約特典が一日でなくなった。すごいわ。私もまだ悩んでいる。先行発売は9月。うう…来月もオリジナルスタンプを作る予定があるので、予算の余裕はないけど…でも結構ぎりぎりまで悩んでしまいそうだ。

Web拍手ありがとうございます。

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このあいだの「アース・ダイバー」の縄文的思考と無関係ではないような気がするんだけど、日本の古代史とか、記紀などの神話の部分に関しては、実は私は「結構官能的」というイメージを持っていたりする。

一神教の神様が創造した世界ではなく、もっと渾沌としたイメージ。生と死、聖と邪、明と闇の相反するものがそれぞれ独立して存在しているのではなく、かなりの部分で本当に分けがたく表裏一体になっている気がするのね。

最初の男女神、イザナギイザナミは命がけで国土を生む。火の神を生んだ女神はそのことで命を落とし、黄泉の国まで追いかけて行ったイザナギは妻の醜い姿を見てしまって逃げ帰る。見られた妻は夫を恨む。愛しつつも恨む。

息子のスサノオは黄泉にある母を恋しがって、大人になっても泣いてばかりいる。姉のアマテラスに甘えたくて傍若無人に振るまい、怒りをかって地上に落ちる。

なんというか、古代の神々はとても人間的だ。弱さを隠そうとはしない。それは歴史が人間の時代になっても続く。

同母の兄妹でありながら、禁忌の恋に落ちて太子の座を追われる木梨軽皇子(きなしかるのみこ)と衣通媛(そとおりひめ)。兄の思い人を奪って叛乱を起こし、破れ去る隼別王子(はやぶさわけのみこ)。人々は真摯な自らの恋を貫くのにいつも命がけだ。

恋のためには王座を追われ、地に落とされても彼らは自分の想いを手放そうとはしない。そんなふうな愛のありかたに私はずっと心惹かれてきた気がする。あまりにも不器用で、真摯であるがゆえに、たとえそれが禁忌の愛でも否定しがたい強いものがあるのだ。

古代の人々の愛の姿には現代の人間が打算の果てに見失いつつある、強いエネルギーがある。私はそのエネルギーにいつも官能的なものを感じて魅せられてしまう。

その官能性は現代の巷にあふれるお手軽な欲とはおよそ次元が違い過ぎる。うすっぺらな雑誌の広告ほどでしかない現代の官能を身近に寄せつけもしない。

創作するということにはやはり強いエネルギーが必要だ。疲れ果てて枯渇したそれを、再び身のうちに呼び覚ますには太古の神話の官能のエネルギーが必要なのだ。すくなくとも私の場合はね。自分の身体の内に神を呼び込むための巫女にならなくてはいけない。

私は時々それを忘れかけてしまうので、まだまだ巫女としては修養不足のような気がするけれど(汗)

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