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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「好き」のきっかけ

電気ストーブだけで、どうにかペン画を描きあげた。まだ背景のイメージは決まっていないけれど、一足先に春の先取りがいいかな。早春の花ってどういうのがいいかな。これからまた植物図鑑のサイトを回ってこよう。

なかなか根本的に鬱の気分から抜けられないので、どうかすると日々綱渡りめいた危機感を持つことがある。だからといって、それなりの治療もしてるんだし、今以上にどうしようもないんだけれど…。まだ好きなことならなんとか出来る状態に感謝するしかないかな。

Web拍手ありがとうございます。>れいこさん、やはりモノクロのペン画しか描いていなかった頃は、それなりに手が慣れていたので、いまよりも線が綺麗だったかもしれないと思います。怠けると腕が落ちることってありますしね(汗)CGばかり描いているのももしかしたら問題があるかもしれないですね(汗)

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義経平家物語の話でふと振り返る。

私が本格的に歴史好きになったのは中学生の頃だったような気がする。その頃は(もしかしたらいまでも)歴史、というのと、古典というのとの区別があまりはっきりついてなくて、どちらも含めて好きになっていたみたいだ。

そもそものきっかけはやはり漫画だったような気がする。

小学生の頃に手塚さんの「火の鳥」を知ったおかげで、興味が自然に生まれたような…。

火の鳥」は未来と過去の物語が交互に描かれていたので、私も歴史とSFの両方に興味を持ち、どちらの関係の本も違和感なく読むようになっていた。

中学生になった頃、白土三平さんの「カムイ外伝」に出会った。あの作品は歴史物というよりも、忍者ものというか、そういうシリーズだったんだけど、彼等忍者が活躍した時代背景はやはり歴史の世界になるのよね。

で、「カムイ伝」を知った。外伝に比較すると「カムイ伝」の方は読者対象年齢も高く、いわゆる劇画の世界だったんだけど、読み始めると面白く、夢中になって読んだ記憶がある。身分制度社会が築かれていく中で、披差別者になった人々や農民やらが主要人物な地味な世界だったけれど。

あれからかなりたってしまった今では、残念ながら細かい話の内容を覚えていなかったりする。その一方で、当時興味を惹かれた雑学だけはいまでもはっきり覚えていたりするんだよね。

たとえば。イワシは現代ではあまり捕れなくて、高級魚みたいになりつつあるが、かつてはものすごく捕れすぎて、食べ切れないものは田畑の肥料に使われていたとか。なるほど、だからゴマメのことを「田作り」というのか、と感心していた。

福神漬けが生まれたエピソードもあった。お盆が終わると仏様に供えた野菜、ナスやきゅうり、れんこんなどなどを川に流す風習があって、それを下流で網ですくい、漬け込んで味をつけて収入源にしていたのが、当時の披差別社会の人たち。材料費はただなのに、おいしいから評判になったとか…。

このエピソードはもしかすると白土さんの創作かもしれないんだけれど、人々の生活の知恵に感心したから、いまでもはっきり覚えている次第。

こうしてみてもなにかを好きになるきっかけなんていろんなところにあるものだと思う。本格的に学問を目指した人たちも、最初のきっかけなんて、やはり似たような所にあるのではないかと…。

小説であれ、漫画であれ、ゲームであれ、それを作っている人の「大好き」加減が伝わってくるようなものは、少なからずそういう影響力を持つんじゃないかと思う。あとは読者の好奇心で。

いろんなメディアがあふれる現在は結構幸せな時代かもしれない。…ただし、受け取り手には本物を見る眼が要求されるかもしれないが。

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