いま思い出しました。
今日はサイト開設19年の記念日でした。
本当はなにか企画をやりたかったんですが、
さすがに片付けに気力を奪われていて駄目でした。
早くお絵描きが出来る環境になって
集中出来るようになるといいなあ、とひたすら
願っております (^_^;)
いま思い出しました。
今日はサイト開設19年の記念日でした。
本当はなにか企画をやりたかったんですが、
さすがに片付けに気力を奪われていて駄目でした。
早くお絵描きが出来る環境になって
集中出来るようになるといいなあ、とひたすら
願っております (^_^;)
昨日、5、6ヶ月ぶりでやっと美容院に行けました。えり先に触るとイラっとするので、やっとすっきりしました(^_^;) なんであの椅子に座ると条件反射的に眠くなるんだろうな?いつも不思議ですが、今回も眠気に襲われてうとうとしてました。
相変わらず、休みの日を作らずに片付けております。
今のパイプベッドの上はこういう感じです。
かなり減りました。空っぽの収納箱とか、ファイルケースなどもかなり混ざっています。金襴の端切れまで出てきた。人形用の帯を作りたかったらしいです。
端切れだから人形用の筥迫(はこせこ)を作りたいとか思ってもいるし、残して置こうかなあ。金襴て高いんですよねー。これを言い出すと端切れぜんぶ取っておきたくなるから困るんですけど…(^_^;)
こういうやつ。
私ってどうも「ないのもは作れ」と思うタイプらしく、双極性障害になって、その「作る」作業がえらく大変になってもその気分が抜けないらしく、挙句にこういう材料ばかり集めてしまうんですよねー。
ネットオフに売った本は7〜800冊。(まだ400冊くらい玄関にある)価格にして6,000円くらいだけど、また新しい読者に会えるといいなあ、と願ってます。
でもあとまだ何冊くらいあるのか見当がつきません(ーー;)
20年前に11箱処分したときは1万円ちょっとになりました。古本の価値も下がりましたね(ーー;)
2000年の年賀状と配布用のペーパーが出てきました。
年賀状は辰年だったらしく、好きな龍に気合が入っています。グラデのインクですが、紙を見るとやはり会社で印刷してもらっていたようです。もう、当時のデザイン会社にはすごいお世話になりました(^_^;) 今でも画集とか作ったらそれを持って社長に贈呈してくるのもご理解いただけると思います。
ここに勤める前は小児科に5年いたわけですが、小児科勤務以前に「印刷屋さんだー」というので原稿を持って自費出版の相談に行ったことがありました。右も左も分からない頃です。二十歳になるかならないか、かな。
で、7、8年後に面接に行ったわけですが、私があの頃からずっと描き続けているのを見て、採用してくださった、という経緯がありました。継続っていうのは力になるんだな、と認識した初めての具体例かもしれません(^_^;)
ペーパーは主に郵送で配布したものです。この文章は書院で打ってますね。まだPCを持っていない頃です。
指先を切ったとか書いていますが、掛け軸を作っていたので、大きなカッターで作業をしていて、2回、先が滑って右手人差し指の先を切りました。一回目は家族で旅行に行く直前だったんで、外科で縫ってもらいました。指先だから、神経がバリバリで、麻酔の注射からして泣くほど(マジ泣き)痛かったです。
懲りて二度目は病院へは行きませんでした。それから指先用の包帯と指サックで防御するようになりました。
ああ、でも本当に何年昔のが出てきても、自分の変わりのなさに呆れます(^_^;) まあ、私の基本はもう子供の頃から確固として存在していて、何度も上書きはされているけど、「核」としてあるものは変わってないと思います。
上書きの時期は割とはっきり認識していて、幼稚園に入った時、11歳の夏、中学生になった時、高二で病気になった時、20歳の時、27〜8歳の時…と続きます。その後も何度もありました。
上書きのきっかけはほとんど「人と出会ったこと」ですねー。刺激も感動も影響の大きさも与えてくれるのはやっぱり「人」なんですよね(^_^;)
傷つくのが怖いとか思ってたら損だと思います。そりゃあいろいろ痛いこともあるけど、それだけ学んで成長する機会に出会っているわけだから(^^) 傷付いても立ち直ればいいし。その過程で強くもなれるし。
やらない後悔よりはやってから後悔する方がずっといいよね(^^)
それでいながら、結局はまた確固たる自分に気づいて、さらに強くそれを再構築するわけです。私は永遠の中二病なのかもしれません(^_^;) 芯の部分は頑固なんだけど、そういう自分は嫌いではありません(^_^;)
ゴチャゴチャ言ってないでやりたい事やったらいい。人生は短い。やりたくない事やってる時間なんてない。他人に何と言われようとやりたい事やって幸せになったもん勝ち。人生の意義なんて知らんけど、幸せだなと思える時間が長ければ長いほど良いに決まってる。幸せになりたきゃやりたい事やんないと。
— Testosterone (@badassceo) April 16, 2019
昨日はクリニックの受診日で、いつものように午前8時には家を出て、二番めだったので、診察自体は9時半には終わってました。が、弟の分の薬を分封にしてもらうのを待っていたら1時間以上かかって。待っている間に郵便局にも行って用事をすませましたが、まだ待ち時間があって、すっかりくたびれた次第です。
昔は自宅近くの薬局にお願いして、あとで取りに行けたんだけどね。引っ越したら環境次第でそれが可能になるのかな?とも思っています。
で、来月はGW明けの20日に受診。ついでに血液検査です。朝抜きで行かないとね。弟は昨夜眠れなかったあおうで、帰宅するなり寝てました。私はああいうリズムを崩す事が絶対に出来ないんだよね〜 (*-д-)-з
しんどいから片付けは休みにしようと思っていたのに、二ヶ月も続けているとかなり習慣化しているみたいで、結局昨日もちょっと片付けてしまった。馬鹿だ〜 (/_;) 私って習慣化しやすい人間だったんだなあ…。ブログやサイトが続くはずですわ (^_^;)
でも部屋に空きスペースが見えてくるとなんとなくスピードアップしそうな感じです。ただし、これからは本だけじゃなくて、同人誌とか手紙とか処分が難しいものが増えますが…。
公営住宅の利点は各部屋に収納があることだなあ、と思います。マンションとかだとまったく収納がない間取りもあるので、ああいう場合は一部屋潰さないと布団もタンスも無理じゃないかと思ってしまうな。
3DKでも一部屋物置っぽくなりそうな気がしますけどね (^_^;)
桜Exhibition2019のレポートを見ていると、今回購入可能だったポスターは大変好評みたいですね。
アート作品の印刷も手がけられているPICOさんだからか。
私も自室に飾る作品は市販の家庭用プリンタでは満足な色が出ないため、大判出力が可能な会社か写真印刷に外注しています。はがきくらいなら無問題ですが。また普通に写真でも無問題なんですが、でもイラストは違うんですよね。それなりにこだわりの色があります。
多少は無理しても画集にしたり、外注プリントしても綺麗な再現にこだわってしまうなあ (^_^;)
絵にしても、このところ昔の作品を発掘して思うんですが、それを見ると描いた当時の事が本当にリアルな記憶で蘇ってきます。私は嫌な記憶は反芻しないようにしているので、思い出すのはプラスの記憶ばかりです。20年経とうが、30年経とうが本当に記憶鮮明ですね。
なので、やはり作品は備忘録としてもとても重要な役割を果たしていると思います。ブログもたぶんそうです。あとから読み返せばやはり当時のリアルな記憶が蘇るので、自分にはかなりの価値があります。本当に「生きた証」というか」「生きた記録」みたいな感じ??絵とブログとがあれば私という人間の輪郭になるのかもしれません。
まあ、自分の生涯はたいしたこともできないままに終わるだろうけど、あとで「ああ、こういう人がいたんだなあ」とちょっとユニークな存在感で思い出してもらえたら嬉しいな、と (^_^;)そのために書いているような気もしなくはありません (^_^;)
「好きなことを好きなように書く」にまさる幸福はないと思っています。
このあいだ、羽生さんがらみでクラウドワークスにマイナスイメージの記事を書いて欲しいという案件が出ていたというので、気付いた人々がTwitterなどで抗議していたため、CW社がそれを差し止めて、「こういう案件を見つけたら知らせて欲しい」と言っていました。
別に羽生さんに関係なくても、ああいうところって結構いいかげんな案件があるんですよね。使ってみてもいない製品に対しての記事を書けとか、今回のようにまともな批判じゃなくて誹謗中傷にしかならない記事を書けとか。医療や政治がらみでも似たようなことがあったみたいですし。WELQとか。
私はこれが駄目で、自分が体験もしていないものを「いいですよ」とか言って薦めたり、知らないジャンルについて検索だけで適当にまとめる、というようなことが絶対に出来なくて、どうもそういう行為を「悪魔に魂を売り渡す」くらいに否定的に感じているみたいです。
だからその類いのお小遣い稼ぎが出来なくて、登録していたクラウドソーシングは全部やめました。
私の絵や文章は自分の良心に忠実でないと描(書)けないようになっているみたいです。不器用だけど、それはどうしようもないことなので、自分に恥じないように忠実でいたいと思います。