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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

クリエイティブな人生

 

今日は行けたら母のところに行こうかと考えているので、予約投稿しておきますね。
お昼過ぎにネットスーパーの荷物が来るから、ばたばた帰ってこないといけませんが…(ーー;)

 


私の絵は名刺になっているらしい(^_^;)


先日、Facebook双極性障害の人たちの新しいグループに入って、ついでにFBのプロフィール画像を加工した写真から、ここと同じ白狐ちゃんに変えた途端に私だと気付いてくださった方がありました(^_^;)

 

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「あれ?わかりましたか?」「わかりますよ。名刺みたいなもんですよ(^_^;)」とのことで、私の場合は絵が「顔」になっているようです(^_^;) 旧知のお友達もこれのほうが私らしい、と言ってくださるので、もうこの子は私の代理ということにしておこう(^_^;)

 

そうしたら、またなにかやりたくなってきて、まず、自分の写真のかわりにこのカットを入れた名刺を作りたくなりました。まだ在庫(?)たくさんあるけど、いずれやってみたいなあ…。

 

それと缶バッジとか作りたいなあ、とも思ったり…。自分で加工するんだったらハメパチというやつで、ストラップも作れますね。円形のものなら、それこそ有職文様でストラップ作れるなあ…。うちのプリンタが濃く出ないのが難儀ですが…。もしかして、コンビニでそういうプリント可能なシステムとかあるのかなあ?一度調べてみないといけませんね〜。

 

すぐに投げ出すことが圧倒的に多いのに、「なにかを作る」ことに対してはすぐ熱しやすいタイプだと思います。いいのか悪いのかわかりませんが…。

でもこういうことを考えていると、すごく行動的になるんですよね。作業も速くなったりしますし…。

 

「こういうの作りたい」と考えているのがすごく楽しいのです。少なくとも落ち込む暇がないと感じます。このあいだ「お絵描きの神様が降りてくれない」と嘆いていましたが、あの時は普通の人はそうじゃないと思いますが、私にとっては相当深刻でした。なんだか普通とずれてるけど。

 

もちろん、のろのろとではありますが、絵も描いてますよ。まだこんなところですが…。

 

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「作ること」はとても楽しい

 


「ものづくり」というのがすごく楽しいのは、ご先祖の中の職人だった人たちの気質が残っているのかな?祖父は腕がいい軽金属加工の職人でしたし、曽祖父は人形師だったそうですし…。(ふたりとも貧乏だったらしいけど)

 

私もなにかしら、「作る」ことがすごく好きです。料理以外。料理も嫌いじゃなければセンスはあると思いますが…。でも嫌いなのが致命的〜(ーー;)

 

手を出したくなるのはやはりハンドメイドの方で、ちゃんと習った洋裁も、母の服や自分の服はブラックフォーマルからコートから華やかな方のフォーマルまで全部作ったんですけどね。(弟の結納や結婚式で着ました)アルバイトで人様の服も縫わせてもらったけど…。でもそれも今は出来なくなってしまいました( ; ; ) テーラーカラーのスリーピースまで作ったのにね…。

 

手編みもやってましたよ、療養中に母に習って。かなり凝った模様編みのモヘアのベストとか、友人にプレゼントしましたし…。いまでも覚えているから、セーターくらいは編めると思う。ゲージの出し方もわかってるし。…でも、それもいまは気力が続かなくて本当にダメなんですね…。

 

…考えてみると「昔はできたのに、いまは出来無くなったこと」っていっぱいあります。ありすぎる。…でもそのかわりにPCまわりのことで出来るようになったことも多いから、やっぱりプラマイゼロかもしれません。きっとなにかの形で「ものづくり」できていればいいんだと思います。

 

…それがいまはお絵描きとブログなわけですね。…まあいいか。欲張っても仕方がないわ〜。

 

 

 

クリエイティブな人生


流されるようでいて、ひとつひとつのことを自分で決めてきているから、自分の人生もそれなりにクリエイトしている気はします。1日1日を機を折るように。(実は機織りもやってみたいんだけど、必死でストップかけてるんですよ〜(^_^;))織糸を飛ばしたり、手抜きしたりして、完成したものがぐちゃぐちゃにならないように、それなりに頑張ったかな、という気はします。

 

才能とかそういうのがなくても、私は多分気質がクリエイターなんじゃないかと思います。「作る」ことで安定する感じ、かな?

 

実際に私に「絵」がなければ、いままで生きてこれたかな?と正直に思います。それだけ私の中のメインを占めるものなのですよね。もはやお金にもなににも換えがたいもの。描けなくなったら生きてる意味はないかもしれません。

 

でも自分の人生にそういうものがあることがとても幸せだと思っています(^^)

 

 

 


ちなみに白狐ちゃんは現在3、4歳の幼児の姿になっていて、言葉は喋れないけど、自分が好きな人に肩車してもらうのが気に入っているようです。(絵に描きたいけど、描く余裕がないから諦め中の私…(ーー;))

 

 

 

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利き手と逆の手を使ううつの治し方、という記事を見つけた

 

「うつの治し方」という記事について


このあいだから、ちらちら見かけるので、ちょっと取り上げてみようと思います。

 

temita.jp

 

興味がある人は読んでみられてもいいと思いますが…。要するに利き手じゃない手を使うことで、脳の働きを変化させちゃおう、って感じでしょうか?

 

日常生活の中でやっているささやかなことを利き手じゃない方を使ってやってみるんだそうです。

 

効果のほどは…。うーん…。私は生まれてから一度も利き手矯正されたことがない天然のクロスドミナンスだから、両手使いがデフォルトだから、そうじゃない場合が想定出来ないんですが…。

 

ももしかして、別に努力とかしないで自然にやっているポジティブ思考がこのクロスドミナンスのおかげだったとしたら面白いですねえ…(^_^;)

 

 

利き手を知りたい人は(少ないだろうが)


利き手テストはこちらにあります。

 

www.doublehand-masters.com

 

私は利き手指数0%の両手利きです。

 

それでいながら、グッドポイント診断では現実思考しているようですが…。

 

でも直感で判断して動くことも多いです。深刻に考えないといけない時は左脳もフルに使っていると思いますが、何事にもまず反応するのが直感=右脳じゃないかと感じています。

 

私がどこか楽観的なのとか、自然とポジティブ思考になってしまうのとか、これは決して無理をしているわけじゃなくて、自然にそうなっているので、脳の中にそういう回路があるのかな?と思えなくもないですね。

 

両手を自然に使うことで、そういう脳に融通性が出てくるとしたら、ちょっとやってみる価値はあるかもしれません。お金がかかるわけじゃないし、そんなに危なくないし…。瞑想する面倒もないし…。

 

 

要するに思い癖を変えようという試みかな?


この記事を最初に見た時、「えー。クロスドミナンスはどうなるの?」と思いましたが、自分なりに考察してみると私の場合がひとつの「結果」みたいなものかもしれないなあ、と思います。

 

ただ、普通のうつ病と、双極性障害とはまた違うので、どこまで適応していいのかわかりませんが…(ーー;)

 

ちょっと辛いなと思ったら試してみるのもいいかな。それでもダメなら専門医にかかりましょう。何事もこじらせて重症にならないうちに早急に対処すれば、治るのもやっぱり早いと思います(^_^;)

 

 

 

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何事にもプラスとマイナスの両面があるという認識

 

頭が痛いので、セデスを飲みました。ご飯はちゃんと作りましたし、部屋に掃除機もかけましたが、これ以上動くのは嫌なので、ヘルパーさんはお断りしました。月に一度くらい嫌になることがあります。掃除しなくても死なないし、別にいいや。

 


何事にもプラス面とマイナス面がある


あー、でも昨日Twitterなどでつぶやいたから改めて書きたいことがあんまりないなあ… (ーー;)

 

Twitterのつぶやき再録しておきますね (^_^;) めちゃ手抜きですみません。

 

昨日は訪問看護の日でした。
午前中に私のところへは作業療法士さんが、午後に弟のところに看護師さん(以前は私の担当でした)が来てくださいます。

 

訪問看護師Sさん(今は弟の担当)は常にものごとのプラスとマイナスを見ようとする人で、それには私もかなり助けられています。「長い介護の期間でも、そのあいだにデジタル絵の技術が身についたと思えば…プラスも大きいですね」この見方はとても大切。さすがに精神科の看護師さんだと思います。

 

どんな出来事にもプラスとマイナスの両面がある、と認識していれば必要以上に落ち込んだり舞い上がったりすることなく、比較的落ち着いて対応が可能なわけですね(^_^;) こういうやや距離感のある自分の味方ってすごく大事だと思います。

 

パニック障害が治ったのも、このコツを手に入れたからじゃないかと思っています。目の前に重要なことをひとつずつ着実にこなしていくことって実はすごく大切な過程だと思います。それも自分のことじゃなくて、いや、自分のことも大事ですが、身近な家族とかそういう人たちのために出来る範囲でなにかをやるっていうのも有意義ですよね。

 

無人島に流されて、そこで生きるすべを見つけたら、サバイバルしたというよりもそれなりの適応と技術が身についたってことじゃないかしら?これは病気にも通じるところがある気がします(^_^;)

 

最初は病気ともどうつきあっていいのかわからなくて、途方に暮れるとか、パニックするとかが普通ですが、このへんからTOKIOなんかを見習って、必要なものを見つけて、材料から作ったり収集したりしていくみたいな…。病気の対応も知識を得るとか、受診して身体と症状に合う薬を飲んで、生活リズムを作っていくとか、そういうのが「方法を見つける」感じかな?と思います。

 

看護師さんはまず「今週、なにかいいことありましたか?」と聞いてくださいます (^_^;) まずプラスに眼を向けるっていうのも大事かな、と思います。

 

 

 

自分の内なる治癒力みたいなものを信じたい


私は「治す力」は基本的に自分の中にある、と思っています。

 

それを最大限に引き出すためにお医者さんや看護師さんや薬剤やカウンセリングや書物や、そういうものの手助けを借りて、自分の中にある力を見つけていくんですね。こういうのも統御感というのかな?

 

で、改善したら、すごく輝く「何か」がプラスの宝石みたいになって、その人の人生の宝として残るという…。そういうイメージがあります。間近で見るとマイナスにしか思えないことでも、何年も何十年もあとから振り返ると、すごく価値のあるものに変化していると思うんですよね。

 

私は生まれつき、こういう病弱(?)なタイプなので、比較する「元気だった過去」が存在しないので、いつでも「ああ、まあこんなもんかなあ…」と思えるから幸せかもしれません。でもずーっと好きな絵を描いてこれたのは本当に幸せだったと思います。

 

昨日、SNSでこういうメッセージをくださった同じ病気のお知り合いの方がありました。


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恭子さんの前向きで確実な知識に基づく、温かなコメントに
どれほど救われてきたか分かりません。
双極だけでなく様々な困難な状況でも、他のせいにしたりせず、
卑屈にならずにいかに自分らしく生きていくか…。
その姿勢にいつも励まされます。

 

恭子さんはまさにサバイバーですよね。

 

共に手を取って支え合う事で少しでも生き抜くヒントが得られますように。


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そういうふうに見てくださってたんだ…と、思いました。

 

私はこれが普通のことなんですが…。やっぱり統御感はあるかなあ、と思います。
人生のあらゆる場合に、これって指針になるので、便利なものだと思います。

 

 

 

 

あー、でも仮にミサイルが飛んできても私は逃げるつもりはありませんけどね。そういう世の中で長く生き残りたくはないので、まあ、それは仕方がないかなあ、と…。

 

ただ、子供たちや若い世代の人たちには申し訳ないですけど…。私だけが作ってきた社会じゃないから、個人でどうこう出来るものじゃないのが悔しいけど…。

 

ま、そうならないことを祈りますが。

 

 

 

 

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