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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

線画自動着色PaintsChainerで遊んでみた(^^) その4

 

すいません、まだやってました。

これ、気分転換にもってこいでさ。どうなるかな?と、ついつい好奇心で

またやってしまう次第。

 

そろそろパターンはわかってるけど、もう一度だけ (^_^;)

 

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あんまり細かくない線画の方が綺麗かも…。

 

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やっと両目を認識してくれた。

 

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細かく色指定して塗るなら自分でやったほうがストレスたまらない気がします。

 

まだ途中ですが、これは自分で塗ったもの。だいたい気が済みました (^_^;)

 

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「敏感すぎる人が快適に生きる本ーHSPの能力を生かす」弱者目線からの世界

 

わかりやすい「平等」と「公正」の図

 

ブックマークで触れてらした方があったので、リンクしてきました。「平等」と「公平」の違いの図。

 

【追記あり】「平等」と「公正」の大きな違いが1秒で納得できる画像 | BUZZAP!(バザップ!)

 

なるほどわかりやすいです。

 

余計な説明はいらない気がする。ハンデを是正して、同じ立ち位置で頑張ろう、というのが「公正なこと」なんですね。これを見るといかに日本で「公正」がなされていないかよくわかります。

 

別に私は日本叩きをしたいわけでもありません。なにか言うと誤解する人がたまにいるんだよね。改善してよくなって、全体がさらに良くなる可能性を大事にしたいと思うだけです。

 

アメリカにだってさまざまな人が存在するから、現在のようになっているわけですが、大きく傾いた振り子はいずれ元に戻ろうとしてくるような気はしています。詳しいことは聞かないでね、そういう気がするだけだから… (^_^;)

 

 


HSPについて書かれた本のご紹介

 

それはそうと、こういう本を読みました。HSPについてまとめられた本です。

 

残念ながらAmazonや街の書店では手に入りません。出版元から直売の形になっています。だから送料はかかりますが、興味がある方は読まれてもいいかな、と思います。


「敏感すぎる人が快適に生きる本ーHSPの能力を生かす」

3tria.cart.fc2.com

 

自分自身がHSPで、他人の苦痛まで感受して、自分自身の苦痛との区別がつかなくなってしまい、揚げ句に数年にわたって寝たきりになるほどの体調の悪さを味わってしまった、というところから、歳月を経てこの本の出版があります。

 

日本ではまだあまり研究のなされていない分野であり、多くの参考文献が英文のものですが。

 

個人的にこのHSPという要素と双極性2型障害はかなり近い位置にあるかもしれない、と感じています。ただ、HSP希死念慮は起きないから(ひどく疲れてうつに近い状態になることはありえると思います)それはやはり双極性2型の方なんだと思いますが…。

 

 


マイナスがプラスになる発想の転換

 

あらゆる刺激に敏感すぎることはダメージを受けやすいという意味で、マイナス要素に思われるかもしれませんが、でもこれは特質でもあるので、出来ることならば長所として生かしていく方法を考えよう、という前向きな内容です。

 

そのために「観察者の視点」で、過剰に他人の影響を受けすぎないようにすることやマインドフルネス瞑想法などとともに腸内環境のバランスを整えていくことなども書かれています。

 

この本を読んでいると、私の場合はやはりお絵描きが瞑想になっていることがよくわかります。そして観察者の視点がイマジナリー・フレンドの役割の一つでもあることが…。

 

HSPの人間は多くの人の中にいることが辛いので、一匹狼になりがちですが、一人の時間はどうしても必要で、それによってしか充電が不可能なくらいなんですね。

 

群れないことで集団がたとえば危ない場所に行こうとしていても、自分はそちらとは違うほうに行こうとする。これはいろいろな動物の場合にも見られることで、集団の絶滅を防ぐ生物としての機能ではないかとも言われています。だから「炭坑のカナリア」なんですね。

 

感じた危機を伝えることにも私は重要性を感じます。ほとんど気にも留められないことが多いですが、でもささやかに書き記すことはやめないつもりです。

 

 


まあ、それでHSPの人間は都会で多くの人の中に交じって生きることが非常に大変なので、独立して一人でも出来る仕事を選ぶとか、そういうことが重要になってきます。この仕事についての課題も障害者の就労に関する課題とも決して無関係ではありません。両方にひっかかる私の重要なテーマでもあるようです。

 

いろんな意味で生きづらさを感じる人たちが、それでも充分に能力を生かすためにどうしたらいいのか?個人的なようで、かなり社会的なテーマかもしれません。


幸せなことに、私は幼少期にまわりの大人に無条件に愛されて育ってきたので、自己肯定感が強く、それゆえに普通の人との関わりを持つことが出来ています。

 

それが出来なかった人は大人になってからもそれを補完するようにすると、人付き合いの面でもっと楽になると思います。

 

 

幸福と生き甲斐と健康との関係


人間の幸福の追求について、2種類の方法があると書かれています。

 

ひとつは美味しいものを食べる、エステに行ってみるなどとちょっと贅沢で快楽を追求するやりかた。

もうひとつは他者のために自分の生き甲斐を追求して幸福感を得る方法。


快楽追求はかえって心身の不調を招きやすく、生き甲斐追求は孤独にも強く、また健康的でもあった、という研究があるそうです。原因は遺伝子にあるみたいですが。

 

まあ、アドラー先生が「他者貢献の幸福」をあげておられるのとも一致しますね (^_^;)


人付き合いに疲れても、障害があっても、それでも誰かの役に立つ、という幸福は掛け替えがないのですね。

 

そのチャンスを公正に得られる社会、人々の意識こそがそれを作り出すきっかけになるのはいうまでもなく、これから先の全体の課題ではないかという気がします。

 


おまけに*

ちょっとだけ個人的に気になったのは若干この本が開きづらい点でした。特別に分厚い紙でもないし、90kgぐらいの紙だと思うんですが、上質紙や書籍用紙よりも分厚くて開きづらく感じる…。これは私の職業的こだわりかもしれません。すみません。でも寝て読むのがやや難しく感じました (^_^;) うーん…なんだろうな、これは…?

 

 

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障害者たちの見えない努力について

 

知らない人もいるだろうから書いておきます。

障害者は楽をしているように思われがちですが、決してそうではありません。

 

たとえば双極性2型障害のある場合、「障害」と言われるだけあって、

寛解はあっても完治はない、症状がましになっても薬を生涯飲み続けなければ

いつ再発してもおかしくないわけです。

 

うつ病の人でも完治はありえますが、無理をしたらぶり返さない保障はありません。

 

私の場合、クリニックの受診や母の特養に行く日は外出時間の3時間以上前に

起きます。調子の悪い中起きてぼーっとしながら動けるようになるまで

時間が過ぎるのを待たなければなりません。

ものすごい非効率だと思いますが、それが現実なんですね。

 

目覚ましで飛び起きて、パンを食べながら飛び出す芸当なんてとても無理です。

 

ましてや毎日通勤されている方の努力はそれ以上のものです。

体調を整えるといっても、お天気や温度変化や気圧でもたやすく影響を

受けてしまうので、そういうことも考慮しながら準備するというのは

本当に並ならぬ努力が必要です。

 

日常から決して無理は出来ません。帰宅途中で一杯やろうか、とか

カラオケ行こうか、とか、そういうささやかな息抜きでも

生活のリズムを崩してしまうから出来ないのです。

早く眠って明日の朝に備えないといけませんし…。

 

そうやって自律神経のリズムを整えても、わずかなことでそれが乱されます。

それは本人の注意や心がけではどうにも出来ない原因によります。

 

目に見えないところで、そういう努力が必要とされるのが障害者です。

精神障害者のみならず、身体障害を持つ人でも、その「見えない努力」は

半端ではないと思います。

 

そういう悪条件で頑張っている人たちがたまに「普通の人が普通にできること」

ができて、非常に幸福感を味わったり、また普通に人が何気なくできることが

できなくて、不甲斐なさと悔しさに泣いていることもあることを

知って欲しいと思います。

 

 

同情は不要です。ただシンプルにそういうことなんだという理解が欲しいです。

ハンデはあっても、叶うことならばみんなと同じにやりたいこと、

自分の存在にプライドを持っていること、そして事実、環境が整えば

ハンデを超えて働けること、社会に貢献ができること、

みんなと同じに誰かの役に立ちたいということ、どこまでも人として

対等の立場で生きていきたいこと。

 

困った時はお互い様で無理のない範囲で助け合えることが願いなんです。

 

それだけはどこかで知っておいていただきたいと思います。

 

また、こういう状態にも本当に個人差はあるので、動きたくても動けない人たちも

少なからずおられることも忘れないでください。

 

自分ができる範囲でも誰かのためにできることがある、というほど

幸福に思えることはありませんから…。

 

(…と、アドラー先生も言われてますね)

 

 

 

「障害」という文字の漢字表記なんかどうでもいいから、

正しい理解は切実に欲しいです。

 

 

休むつもりで一杯書いてしまった。おやすみなさい。

 

 

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