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両親の介護も一段落 双極性2型障害と気長に共生中

「この世とあの世の風通し」←人によってはごく近い

今日はもう、ご飯作るのは諦めた。お金ないけど、お弁当頼もう。

 

横になっている時間が全然短くならないどころか、逆に増えている気がします。この猛暑の時期でさらに堪えているのもありますが…。なんだかいろいろしんどさしか表立たない感じです (ーー;)

 

同じ病気の方のブログで見かけた「希望を持たせておいて、奈落に突き落とす」という表現が妙に納得出来てしまいます (ーー;) そのあまりの落差だけに、普通のうつ病よりも自殺率も高いんじゃないかなあ、と思ったり…。「脳が誤作動起こしている」という認識で乗り越えられる落差には個人差がありそうです。

 

 


昨夜もしんどいので、早い時間に横になって本を読んでました。

 

著者はすでに故人になられていますが、私はあえて精神医学の本として読んだわけではありません。

 

むしろ普通の読み物として面白かったです (^_^;)

 

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内容はタイトル通りですが、沖縄やアイヌの文化、禅やキリスト教やその他の宗教やもろもろユニークな視点から触れられている内容が面白かったです (^_^)

 

娘さんやお孫さんのUFOとの接近遭遇や、その後の変化とか、そういうのも面白いですね。

 

ユタのカミダーリというのも不思議な現象ではありますが、かならずしも○○という病気にカテゴライズするわけではなくて、なんとなく曖昧に見守っているうちに抜け出して本物のユタになる人はなるし…。曖昧に懐が広いのが面白いと思います。

 

が、この先生、きっと現場では異端だったろうな〜、というのも想像出来ますが。でも波長が合う患者さんとはいい感じだったかも…と、これも私の勝手な想像です。

 

 

ターミナルケアについて言われていることが印象的でした。「人間が本当に深く満足して安心するためには効率を求めていてはだめなんです。」「本当に魂から充足するのであれば、生きること、死ぬことは問題にならない」「ターミナルケアに一番必要なのは、治療者が本当に落ち着くことだ。魂や死後の世界ということは、あまり強調しなくてもいい。自分が深く深く落ち着いた状態で死んでいく人に向かえばいいんです。そうすると、人間というのはどこかでお互いに落ち着くということを求めあっているから、相手も安心する。あえて口に出さなくてもいい、そばにじっといて、本当に自分が落ち着けば、死んでいく人に伝わる。それがターミナルケアなのであって、何も不安を共に味わうとか、そんなことは全然必要がない。ただそばにいて、自分が本当に落ち着けばいい。それが本当のターミナルケアなんだ」

 

で、これはインタビュアーさんの言葉ですが、
キューブラー・ロスがあるチベット人の僧に『自分は瞑想とかそういうことは嫌いだからやらない』と言ったところ、その僧は『死に行く人のそばに長時間座っているということは高度の瞑想です』と言ってるんですね」

 

…これで私は父の看取りのための3日間を思い出しました。家族の立場としてですが、私はまさしくこのとおりのターミナルケアと看取りをやっていたんですよね。

 

ずっと父の手を握って「大丈夫…大丈夫」とそばにいた。父は非常に死を恐れていた人ですが、とても安らかな穏やかな顔と様子で旅立ったことで、それで私自身も癒されたんですね。介護した甲斐があった、と思えたし。

 

 


このあいだ、この本を読んだ時に「この著者って、自分の身近な人を看取ったことがあるのかな?」と疑問に思いました。どうも頭だけで書かれている気がして…。

 

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まあ、だから理解は出来ても納得や共感は出来ないわけか…と思いましたが。

 

 

論理的に理解できても理性的にコントロール不可能な脳みそを抱えていると、曖昧でもいいよなあ、と思える許容量がある世界の方が生きやすく感じるものです。だからといって宗教だけに救われるものでもないこともよくわかっているし。要するにこういう苦悩のはけ口がクリエイティブな方向に行くしかない、っていうのも不思議ではないのかもしれません。

 

 

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