つれづれ日記ー逝春抄ー

お絵描きと介護で多忙な日々 双極性2型障害と気長に共生中

癒されるもの

嵐の前の静けさ、という雰囲気で妙にこのあたりは静かだ。台風が最接近するのは明日の午前中らしいけど、まあ、直撃は免れそうな感じ…。今は雨も降っていない。たまに風が吹いているくらいかなあ。ここ数年は京阪神ではあまり深刻な台風の被害がでていない。直撃コースでもスピードが速くて助かったりしているしね。それはありがたいのだけれど、やはり深刻な被害が出るところもあるわけで、心配は心配なのだった。

京都市ハザードマップを見ていると、もしも鴨川が氾濫した場合でも、うちのあたりはぎりぎり大丈夫かなあ、浸水は免れるかなあ、というあたりになっている。昔は台風の被害がひどくて、向島のあたりは浸水もひどかったらしい。いずれにしても必ずしも想定の範囲内で納まると決まっていないのが自然の怖さなのよね。用心しなければ。

Web拍手ありがとうございます。

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このところしばらく気分が落ち込み気味なので、そういう時にはどういうわけだか動物とお人形のサイトを見に行きたくなってしまう。やはり気分的に癒されるからだろうか。動物も本物ならばぎゅーっと抱き締めると暖かくてやわらかくていいだろうなあ…、と思うんだけど…。今は見るだけで我慢。

杏珠をぎゅーっと抱き締めてみてもやわらかいというわけじゃないからなあ…。しっかりと自分の足で立ってくれるかわりにふわふわした皮膚ではないのよね。ちょっとそれが残念だったりする。

でも私は子供の頃って大抵の女の子が愛玩するぬいぐるみのたぐいとは無縁な生活をしてきた。あんまり抱き締めるタイプのおもちゃを必要としない子だったみたいだ。そもそもお人形自体にも特別なこだわりを持っていなかった。

子供の頃に唯一持っていたのはバービーだけだったなあ。もっと幼い頃には文化人形を持っていたみたいだ。これは家族も覚えていないけれども写真で残っているからねー。バービーはわりと大きくなるまで、小学校の6年生くらいまで遊んでいたような気がする。その頃はたまに母も手縫いの服などを作ってくれていたし。

でも服がなくてもハンカチやらはぎれやらをドレスのかわりにして遊んでいた記憶はあるなあ。子供時代のおもちゃってお人形以外の記憶がないところを見ると、あまりおもちゃを必要としない子供だったようだ。

つまり本と紙とがあればそれで満足している子だったんだよね。祖母が健在で上京区に住んでいた頃は絵本を持って御所の芝生で遊んでいた記憶ばかりがある。家にいてもやはり本を読んでいるか絵を描いているかどっちかの子だったなあ。3つ子の魂百まで、とはよく言ったもんだよね(笑)

伏見に越してからは外遊びの時間が増えて、ゴム跳びだのビー玉だのなわとびだの石蹴りだの、そういうことばかりしてたけど。お金がかからない道具でよく遊んだなあ…。子供ってなにもなくても遊びを考える素質はあるしね(笑)

子供時代に執着がなかったお人形にいまごろになってからはまっているのは不思議ではあるけれど。そういう面ではいくつになっても女性ってそういうものが好きなんだなあ、と思う。癒されるものがそばにあって欲しいと思ってしまうのね。ペットももちろんそうだろうし。

ごはんを食べさせなくてもいいし、お散歩にも行かなくていいかわりに、時々いい服を着せたくなるから、そこそこお高くついてしまうのもペットと同じかなあ…(笑)お人形ではありながら、精神的には自分の一部というか、家族みたいな感じがするのもペットと似ているなあ、と思う。

お人形と脳内会話、というか、そのあたりは漫画のキャラクターと同じで、独立して生きているキャラクターみたいなんだけど。だから当たり前に話していたりする。やはり心が休まる存在なのよね…。